· 

孤独

生き方


孤独。

何となく 

うら寂しく うら悲しいイメージを持つ

孤独

って言葉。

不安や恐れを強烈に喚起する言葉。

人は孤独を感じるが故に

他者との繋がりを得たいと願う。

でも、

他者と繋がりを持ったとしても癒えぬ孤独は、

余計に自らの心を蝕んでいく。

それが分かっているから

不必要に相手の顔色をうかがったり、

周りに迎合したりし、

その無理さ加減に疲労困憊する。

やがてそれらの体験は、

孤独から絶望へ導く落とし穴となり、

落とし穴は、

ぽっかり空いた異空間のようなもので、

ひたすらにその世界を彷徨うこととなる。


だから、

孤独を恐れないようにしようと私は話す。

でも、

恐れてしまうと皆さん仰る。

仕方がないと皆さん仰る。

分かります。

恐れてしまうし、仕方がない。

分かります。

よーく分かります。


では、質問を変えましょう。

恐れてしまうし、仕方がないのは何故?

って伺うと、

何故だか分からないと返ってくる。

つまりは、

何故だか分からないものだから

恐れを抱き、仕方がないと思うということ。

だから、

孤独を恐れないようにしようと

再度私は言いたい。

何故だか分からないからこそ

恐れてしまうから。

自分にとっての孤独ってのは

そんな風に当たり前なことだからこそ、

考えないってことでもあるのだから。

つまりは、

孤独をしっかりと考え、向き合うことが

必要なんじゃないのってこと。


孤独というものを、

寂しさや悲しみと捉えるのは何故か?

を解き明かしていくと、

必然的にここに辿り着く。


私は寂しくしていてはならない。

私は悲しくしていてはならない。


ってのがあるんじゃないのかな

ってところにね。


寂しさや悲しさを見て見ぬふりをしないで、

誤魔化すスベにいかないで、

真正面から受け止める。

そうすると、

寂しさも悲しさも

大切な自分の一部だと

本当に思えることが出来、

はじめて人は、

そんな自分を愛おしく感じはじめ、

孤独と向き合い、

孤独を飼い慣らそうとする。

その対峙を経た後に、

次の境地に至るもの。

それは、

無理に誰かと繋がる必要もなく、

不必要に誰かに合わせる必要もなく、

別段、沢山の人々と繋がらなくとも

自分が無理のない人々と

繋がっていけばよいだけのこと。

真の孤独を知る自分だからこそ

誰かに優しくなれるし、

真の孤独を知る自分だからこそ

自分に優しくなれると人はそこではじめて

実感する。


孤独

っていうことは、

素敵なもんだと私は思う。

孤独をいっぱい感じるから、

見せかけの優しさや

見せかけの繋がりや

見せかけの言葉がハッキリと分かる。

裏返すと、

孤独をいっぱい感じるから、

誰かに対し、

見せかけじゃない優しさや、

見せかけじゃない繋がりや、

見せかけじゃない言葉を贈る。

だから、

本当の人々と出逢うってこと。

沢山はいらない。

数名でいいんじゃない?

それを人はパートナーと呼んだり、

それを家族と呼んだり、

それを親友と呼んだり、

それらは全て、

心友として私たちのかけがえのない

魂の一部となる。

だから、

孤独を恐れなさんな。

だから、

孤独から学びなはれ^ ^


一人は怖いものではない。

一人だから、

物事や真理を

ハッキリと鮮明に観ることが出来る。

又、

そんな時期が誰しもにあり、

その乗り越え方の違いが、

その後の人生を左右するって

私はつくづく思うのです。


共存、共生、共創とは、

個を認めるからこそのもの。

個を認め合える関係性があるからこそのもの。