生き方
私には偏った考え方があり、
私には独自の価値観があり、
私には揺るぎない信念があり、
私には最後まで捨てられないこだわりがある。
当然のように誰しもにこれらがあり、
これらがあるからこそ生きられる。
又、
これらがあまりない方は、
(あまり意識なさらない方は、)
どこか心細く、どこか頼りなく、
どこか不安げで、どこかフワフワすると言う。
あり過ぎるのも考えもので、
なさ過ぎるのも考えもの。
バランスが大事だね。
あり過ぎると
人を即座に判断し、審判することに
繋がりやすいし、
なさ過ぎると
付和雷同型となり、
世情や噂話を真に受けたり、
真実を見抜く力が損なわれ、
誰かに利用されたり騙されたりしがちとなる。
バランスが必要だね。
どちらが良いとか悪いとか、
そういう問題ではなく、
自分を多角的に見ることが
私たちには必要です。
客観視、俯瞰、メタ認知•••
言い方は様々ですが、
私のいつもの言い方では、
幽体離脱^ ^
自分の身体から一度離れ、
自分の身体を天井から見るイメージで、
自分の思考や自分の感情や自分の行動に
注意を払う。
どうしてそう考えるのか?
何がそう考えさせるのか?
どうしてそう感じるのか?
何がそう感じさせるのか?
どうしてそう行動するのか?
何がそう行動させるのか?
人は、
そう考え、そう感じ、そう行動するには、
自分なりのメリットがあり、
そのメリットが上手く達成していると、
悩むことはない。
又、
ややこしいことに、
デメリットと分かっていても
メリットと捉え、
染み付いた思考、感情、行動をとっている
ってこともあり、
これは、なかなか自分では気づけないから
カウンセリングの領域ともなる。
いずれにしても、
悩みが発生した時は、
まずは幽体離脱するってことが
肝要だと私は思う。
原因探しを外界に求めるのではなく、
自分自身に問うていく。
問うていく中で、
自責や反省や後悔に捉われそうになった時、
それすらも幽体離脱で問うていく。
整合性があるのだろうか?
その判断の基準に誤りはないのだろうか?
心地良い自分はその後どうしていくのが
一番良いのだろうか?
問いただすのではなく、
ひたすらに淡々と問うていく。
この悩める自分自身という存在に
寄り添いながら。
そうすると、
自分の中に、
確かな答えが出る瞬間がある。
それをひたすらに待つ。
めんどくさい地道な作業。
でも、
とても大切で貴重なプロセス。
よくカウンセリングで
やりがちなことは、
対処の仕方で悩んでらっしゃるのに、
その方の思考や行動や感情や
その本質的な部分をカウンセラーが
無責任に無遠慮に指摘して
傷つけてしまうというもの。
それはクライエントの
(今の)ニーズではなく、
土足で人の心を踏み荒すようなものであり、
ただの押し売りであり、
カウンセラーのエゴに他ならないと
私は思っていて、
いつも振り返り、後悔することだってあり、
もっと上手になりたいと思うから
スキルアップにひたすら励む。
それと同じように、
自分自身の心を内省する時は、
繰り返し繰り返しやりながら、
待つ
ってこと。
待つ
ことはじれったく時間もかかる。
でも、
待つ。
で、
待つ中で、
様々な人と出逢ったり、
様々な書物と出逢ったり、
様々な経験や体験があったり、
待つ姿勢が、
自分の中にあるからこそ
人は探すことになり、
だから、
出逢うべくして出逢う。
よくカウンセリングで、
先生のおかげでなんて言葉を頂きますが、
それは違います。
辛抱強く待たれてご自身で自己研鑽されたから、
たまたま私の時に気づかれたってだけのこと。
気づかれた後に、
自立的な意思決定に基づき、
たまたま私がその後の
目標や方策をサポートさせて頂けたって
だけのこと。
私のおかげではなく。
(これまでの)あなたのおかげということ。
ご自分の為に
常に自己研鑽をし、
待てる自分にじれないで、
イラつかないで、焦らないで、
そして、
答えは必ず自分の中にある。
ってことを信じて頂きたいって
いつも切に感じています。
人生は、
短くもあり長くもある。
長くもあり短くもある。
生きづらい方は短くもあり長くもあるで生き、
生きづらさを解消された方や、
そもそもが生きやすい方は、
長くもあり短くもあるで生きればいい。
私は前者^ ^
人生は短くもあり、その実、とても長い
です。
そして、
毎日が自己研鑽^ ^
とてもとても長いからね。
やり残したら、
来世の課題に引き継ぎます^_^