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治そうとするな分かろうとせよ。

生き方


治そうとするな分かろうとせよ。

カウンセリングの真髄だと

私は思っています。


治そうとするってのは

間違いがある前提がとても色濃い。

間違いがあると思うからこそ

人は治そうとする。

その人の為に良かれと思って。

治そうとするからこそ指摘をし、

向き合うことを強制し、

間違いを正そうと色々とアドバイスをする。

その人の為に良かれと思って。

良かれと思って?

その良かれと思うのはあくまでも

自分自身だってことを忘れちゃならない。

人が人に相談をする時に、

はたして、

私が悪いし間違っているから

私の悪いところを治してほしいと思うのか?

確かに悪いかどうかは分からないが、

不都合なところがあるからこそ

悩みの相談となる。

でも、

その不都合さにより

生きづらさが随分と軽減されてきた

ってことが必ずあるはずで、

その人なりの一つの尊い智慧である。

それを安易に指摘したり、

不都合の改善を無理からはかることは、

その人のこれまでの人生への冒涜であり、

そんな不遜な態度はとても失礼なことだと

思うのです。

あくまでもその不都合さがあるならば、

続ける、続けないを

決めるのは相談者であり、

決める能力を決して奪い取ってはならない。

その能力を低く舐めてはならない。

答えを出すのは

相談を受ける側ではないのだから。

だからこそ、

ひたすらに分かろうとする態度と姿勢が

大切となってくる。

自分とは違う人間だからこそ、

理解しようとする深い探索が

必要となってくる。

その関係構築がなされてはじめて、

不都合というよりは、

不合理な信念や思考が矛盾と共に

相談者の中に生じてきて、

その矛盾を共に共有出来ることとなり、

じゃあ どうしますか?

ってことに話は進む。

相談者と相談を受ける者との

共同作業がここから本格的に始まっていく。


これは何もカウンセリングに限りません。

人間関係全般に共通するもの。


正そうとするな分かろうとせよ。

導こうとするな分かろうとせよ。


ということも言えるでしょうし、

はたまた、

赦そうとするな分かろうとせよ。

ってことも言えるかもしれませんね。


人が人を理解する。

とても難しい課題です。

又、100%理解することは不可能なこと。

でも、

答えは人それぞれの内にある

ってことを信じて接する時、

相手を分かろうとする姿勢が必然的に

僕たちの中に生まれてくる。

それこそが、

深い人間関係を結ぶ妙だと私は思う。


安易な助言やアドバイスは控えた方が良い。

その人の為を真に思うなら。


自分の為にやっている

って思ってやしないか?

って検証が、

いつも

私たちには必要なことなんじゃないかな?

そう自分にいつも問いかけながら

日々を生きております^ ^