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自己否定

生き方


自己否定、自分責め、自責、

様々な言い方がありますが、

本当の意味で自己否定をしている人は

とても少ない。

ひょっとしたらいないかも?

って感じる時も正直あります。

で、

それは

どちらかと言えば、

自己否定ではなく、


自己憐憫をしている。

の方が近いかな。


自己憐憫とは、


自分って、なんてかわいそうなんだろう。

って、自分を憐れむこと。


自分を憐れむということは

自分が被害者であり、

被害者ということは加害者が存在し、

加害者が存在するということは

その加害者に対する怒りや責めなどもあり、

そういう意味からすると、

自己否定していると同様に他者否定があり、

自責と同様に他責もしているということ。


下手をすると、

他責を隠す為に自責を発動し

誤魔化している可能性がとても高い。

相手を責める正当性が自分にないから

自分を責めて均衡を取っているってこと。

それは、

悲しいことに、無意識のうちに起こる

習慣のなせる技なのかもしれません。


そして、

最も厄介なのが、

その自己憐憫を引きづること。

どういうことかと言うと、

自らの可哀想さについつい酔ってしまい

悲劇のヒロイン症候群

になってしまうこととなり、

その酔いが、

益々 

(表面上の)自己否定の習慣を強化していく。


つまり、

自己否定をしている方が楽。

それも、

自己否定のフリを続けているに過ぎない。


ごめんなさいね。

ちょっとキツイでしょ。

でも大切だからこのまま書きますね。


人は基本的には

自己憐憫です。

逆に言えば、

自分しか自分をよしよししてあげれない。

と私は思う。

それは人によっては

孤独や孤立を意味するかもしれないが、

その定義がそもそも違っている。

以前から書いていますが、

孤独=哀しい、侘しいの

捉え方をするからややこしくなるだけで、

孤独を認めるからこそ、

他者を尊重し、感謝出来、慈しみ、

はじめて人と繋がっていけるってこと。
(孤独について書き出すと、そっちに
いってしまうので、過去ブログから
探してね^ ^)


戻します^ ^


つまりね。

自己否定、自分責め、自責はね。


怒り


誰への?

自分以外の他者に対しての。

で、

それが出来ない自己憐憫を

自己否定というオブラートにくるんで

納得しているに過ぎないってこと。

だから、

自己否定は誰も本気でしていないってこと。

はい。

反発必至^ ^


でもいいんです。

それも大事だから。


何故、自分を自分で癒しなさいって

色々な人が言うかって、

それは、

自己憐憫を鎮めるため。

だから、

自分を愛しなはれって

私もしょっちゅう言う^ ^

良いも悪いも認めて、

ありのままの自分を愛していく

意志と努力。

これを続けると

自己憐憫は必ずおさまってきます。

そうすると、

エセ自己否定はなりを潜め、

発動させる意味を失います。

で、

エセ自己否定を発動させる

他責も意味を失い

自己憐憫を誰かによしよししてもらう

必要もないから、

他責。

つまり、責めではなく、

嫌とか不快とかを相手にきちんと

伝えることが出来るようになっていく。

その伝える怖さが徐々になくなっていく

ってこと。


よしよしするのは

誰かにしてもらうんではなく、

自分でしなはれ^ ^


で、

自分以外の誰もが

自分をよしよししてくれる訳はないから

他責をする以前に

嫌、不快をキチンと相手に伝える。

そして、

自己否定という嘘の自分を表出させない

ようにしていく。


私も自己憐憫があり、自己否定もあり、

他責もあり、

でも、

それは仕方のない癖だから、

そんな心情になった時ほど、

この一連の流れに沿って修整しています。


可哀想な人を見ると可哀想になる。

当たり前に当たり前の人間としての

素晴らしき機能。


でも、

自己憐憫を自らが埋めないと、

誰かに可哀想に見せてしまう

エセ自己否定をしてしまい

結果、誰も見てくれないってことになる。
(一時的には良いかもしれませんが、
それは一過性のもの。だって、他者は自分では
ないのだから。家族と言えどもそれは同じ。)

又、

自己否定を表出するってことは、

他者に対する強力な圧力ともなり、

それは圧力だから、

結果的には疎んじられ、

ひいては自己憐憫の深い暗闇の中に

すっぽり一人陥いることになる。

その暗闇で見える世界は、

ただただ


憎悪の歪んだ世界。


怖いよね。

嫌だよね。


ならば、

自己否定をするのなら。

自己否定を誰かの笑いの為に持っていくか^ ^
(この場合、悲しみがあってはダメ。
教示があってもダメ。
理解や同意を求めてもダメ。
自分のアホさや愚かさを
ただただ笑ってもらえるように
あっけらかんと話すこと。
あくまでも過去の話として。)

あるいは、

すっぱりとやめる為に自己憐憫を鎮めるか。

いずれかの方法を取りなはれ。


大丈夫。

皆んな苦しみは一緒なんだからさ。

憐れな自分を鎮めてあげてね。

お願いしときます^ ^