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煩わしさ

生き方


人が煩わしく感じる時がある。


そんな時、自分を振り返ってみると、

こんな事を思っていたりする。

「あー、こいつは私のことを分かっては

くれないのね。」

もっと言えば、

「あー、

こいつもやっぱり

私のことは分かってくれないのね。」


「こいつもやっぱり」


ってのが煩わしさの遠因です。


それは、落胆に近い感覚かもしれない。


落胆をひとたび人は感じると、

落胆をそのまま続けるのは

精神が持たないから、

身動きがとれないから、

その場から逃げようとしたり、

その場から排除しようとしたりして、

煩わしい

って感覚を発動し、身を守る。

無理もないよね。


自分の精神は断固守らないといけないから。


だから、


人はその煩わしいって感覚を

これまでいくつも何回も

経験していることから、

あまり深く人と繋がるという意味を失い

これまでの浅い浅い経験から導かれた

レッテルって選別方法を早めに駆使して

急いで急いでジャッジする。


特にネット社会である現代は、

そいつを一気に加速させ、

その人と会ったことも見たこともないくせに

表面だけをチラッと見て、

安易によってたかって

平気で人を罵倒し批判する。


そりゃあ

人間関係が益々薄くなるわさ。


でもさ、

よく考えてみりゃ分かるはず。


煩わしさを回避する癖がホントに

僕らについちゃうと、

人に自分のことをより一層に

分かってもらえる可能性が薄まるってことを。

人に自分のことを誰もが分かってもらいたい。

って欲求が、大なり小なり誰しもに

あるにもかかわらず、

でも、煩わしさが表出した瞬間から、

分かってもらいたいってことの逆を

してしまっているってこと。


そもそもが、

自分のことを分かってもらいたい

ってのは、

自分で自分の事が、

少なくとも他者よりも分かっているっていう

前提がないと、かなりの負担を相手に

背負わすってことともなり、

答えのないものを相手に求めるって

ことともなり、

それはある種の横暴とも言ってもよく、

誰でもかれでも分かってくれる

はずもない。


だから、

親友や心友や家族やパートナーってやつが

とてもとても大切であり、

煩わしさの先に

その人々との本当の繋がりや出会いが

待っている。


人間関係が希薄な時代さ

って、

遠くを見つめて黄昏るのならば、

人間関係を極めてやれと、

目の前の人と真摯に向き合い、

自分という人間と真っ向から向き合い、

煩わしさを押し退けて進む他に道はない。


ただし、注意すべきは、

その向き合うべき相手とは、

誰でもかれでも良いっていう

わけでは決してなく、

下手をしたら、

まだ見えていない人かもしれないし、

その相手とは、

自分にとって メチャメチャ 嫌な奴(>_<)

って可能性もあるってこと。


その嫌な奴を理解することに

努めていくことは、

煩わしさに挑むってことであり、

その嫌な奴は、嫌な奴のまま終了するかも

しれないが、

その過程や変遷は、

明らかに

自らの 人間力 のアップとなり、

その 人間力 そのものが、

本当の真の出会いをもたらす。

ってこともある。


だから、

嫌で大嫌いで苦手な奴を活用させてもらう

って発想も

実はメチャメチャ大事なことだって、

めんどくさいながら(o^^o)

私はわりと思うのです。

ps)スッパリ切れない職場での人間関係なんて、

こんな発想をしていくと、

その嫌で、大嫌いで、苦手な奴の姿が

変化して見える^ ^

活用させてくれる為の、

言わば、自らの肥やし^_^

うっしっし^o^