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批判・否定

生き方


日々、こうしてブログやホームページを

上げていると、全く見ず知らずの人から

批判や否定や下手をしたら誹謗中傷を

受けることがある。

匿名がまかり通る

インターネットをしている宿命とも

言えるかもしれない。

かくいう私も過去に思いっきりやられ^_^

その際は全く初めての

寝耳に水のことだったので、

司法を含めて第三者の判断を仰ぎ、

社会通念上も刑法上も民法上も

相手に悪意があると認められ、

でも、相手を糾弾したところで

何が変わるわけでもなく、

グッと耐え忍ぶ日々があった。

正直、

かなり凹んだし、かなり怒ったし、

かなり狼狽えたし、

でも、

敢えて不毛な闘いを挑んだり、反論したりを

しなかったという苦い経験を持っている。


何故なら、

それはそれで、

誰かの役に立っていると本心から思えたから。

私は、私が絶対に全て正しいですとは

心底思っていない。

でも、全てを間違っていたり、

全てがおかしいわけではない。

仮に批判や否定を頂戴したとしても、

先ず、相手が何を言いたいのかを

分かろうとする姿勢は持っていて、

それを心底理解出来たなら、

正直に謝るだろうし、

反省もするだろう。

だって、

それはとてもありがたいことだから。

でも、

私のことを何も知らないし、

ましてや会ったこともないし、

同業者かもしれないし^_^

ただそのような人に

単純にレッテルを貼られ、

自分の方が正当性や真実性が全てあると

叫ぶ輩を私は許せない。

いや、

許せなかった。

の方が正しいかな。

だから、

狼狽えたし、凹んだし、

とことんやっつけようとも正直思った。

信用の仕事だし、

クライエントさんや生徒さんも不快だろうし、

私を知ってくれ、理解してくれている人々や

サポートしてくれている人々にも

申し訳ないと、様々な事を考えた。


でもある日、ふとこう思えた。


私を叩くことによって、

相手は何らかのメリットがあり、

私という存在があるからこそ、

自分という存在を確認出来る。

つまり、


私はその相手の役に立っているってこと。


為にならないものはない。

そう。

為にならないものはないのである。

詳細は避けるし、

又、これを見て、粘着されても嫌だし、

なんかされたら怖いから^_^

一般論に戻しますが、

仮に、

誰かに批判されたり、

否定されたりした時は、

こう考えてみたらどうだろうか?

私を否定したり、批判したりを

するということは、

それだけ、相手が私よりも優っていると

思っていて、

であれば、

私よりもその分野やその仕事なりで

優れた存在となればいいやん。

そんなに私を否定したり批判したり

するならば、

あなたが

私よりも もっと素晴らしくなればいいやん。

そうなるきっかけの為に

私を活用してくれたらいいやん。

で、

そんなつもりも毛頭ないと思われる輩は、

ただの捌け口としてしているだけのこと

なのだから、

全く相手にしないってことと、

捌け口としての役には立てていると思うこと。


確かに苦しく辛いかもしれない。

やられた本人にしかこれは

分かりっこないかもしれない^_^

でも、

そうやって考えるとね。

いつまでも長期にわたり

思い悩むっていう

不毛な自分責めや自己肯定感を

必要以上に下げるなんてこともなく、

相手を許すことも出来るだろうし、

消し去ることも出来るだろうし、

流すことも出来るだろうし、

何よりも、

長きにわたり、

自分の生きるペースを

崩すことがなくなります。


僕たちだってそうじゃない。

気に入らん奴もいるし、

大嫌いな人もいるし、

陰で悪口も言うなんてこともあるだろうし、

意図せず人を

傷つけることがあるかもしれない。


虐めや虐められの経験をしたかもしれない。


人間の悪の部分や良くないところを

どうこうするってことよりも、

自分自身の善き部分だけを見ていく方が、

遥かに人生は有意義だと私は思います。


その善き部分を伸ばしていく本質が、


「為にならないものはない。」


これに尽きるのではないでしょうか。

又、

為になる。

ってことを深く考えてみると、

例えば、

あまりにも理不尽な虐めや犯罪は

やっつければいい。

それも一つの「為」だから。

でも、

一番、自分が可愛そうなのは、

我慢を我慢と認識して

しているってこと。

これが、

知らず知らずの内に

自らが自ら自身で問題を長引かせている

っていうことも

大いにあるってこと。


理不尽さや不合理さや

気も狂わんばかりの他害を受けた人々も

世の中には大勢いて、

想像を絶する苦しみの渦中にいる人もいて、

「為にならないものはない。」なんて、

とても残酷な話です。

でも、

人生を生き直すってことを

もし最優先に据えたとしたならば、

この発想しか持ち合わせていないと

いうのが、

僕たち人間の厳しい現実なのかも

知れません。


そして、

そんな人々と接した時に、

僕たちがその人々に出来ることは

ただ一つだけ。


それは、

一緒に涙する。

ってことくらい。

それくらい

無力な存在が我々です。