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嫌な感情の隣に座る。

生き方


悲しい。辛い。苦しい。


嫌な感情の代名詞です。

感情を吟味する。
感情を味わい尽くす。
とよく言われ、
感情は無視すると大きくなる
とも言われます。

確かにその通りだと思います。
だって、
例えば、悲しみなんて無視すれば、
哀しみに変わっていくことを私たちは
事あるごとに経験してきたのだから。

ただ、気をつけないといけないのは、

感情にがっぷりと入り込んでしまい
抜け出せないことが起こるということ。

この抜け出せない状態で、
私たちがどんな精神活動をしているかと
言うと、やっぱり哀しみなら哀しみの
否定や除去を行おうとしていて、
哀しみを否定したり除去するには
その哀しみを誘発したり、起こさせたりする
原因探しに奔走することになるということ。
でも、
その哀しみを誘発したり、起こさせたりする
ものは、ほとんどの場合は、
自分以外の他者であり、
自分の反応を変えない限りは解消されない
ということに思い至る。

で、
思い至るまでは思考の範疇であり
割と簡単なプロセスだが、
本当に腑に落とすまでには時間がかかり、
腑に落ちないと私たちは行動が出来ない。
で、
腑に落として、
必死に自己変革に臨むけれど、
これまた時間がかかるから、
多くの人々は、途中で挫折をし、
その哀しみ自体を無かったものとして
扱い、他の様々な物事で誤魔化しながら
なんとかやり過ごそうと頑張るが、
結局は、
いつもどこか哀しみを抱えて
生きることとなり、
事あるごとに
人間関係の変化や環境の変化により
その哀しみが又、目覚め、顕在化し、
同じプロセスを繰り返していく。



ただただ隣に座ってあげようよ。

哀しみさんが自分の中にいたならば、

その哀しみさんは

あなたの一部に過ぎません。

誰もが、私は哀しい人間だと思っている。

いや、

『思いたい。』ってのが正しいのかも。

でも、

哀しみは自分の一部に過ぎないもので、

あなた全てが哀しいというわけではない。

哀しみの渦中に巻き込まれるとは
そういうこと。

だから、

哀しみさんの横に座り、
ただただその存在を認め、

意味を探そうとか、
原因を探そうとか、
消そうとか、無くそうとか、
ましてや
幸せになろうとか、

そんないつもの精神活動を意識的にやめ、

哀しみさんの声を聴く。


「こんにちは。」から始めてみる。


声を聴く、分かってあげる、認めてあげる。

自分の中にあるその一部の感情さんを。

感情さんの声を聴く

ってのはなかなか難しいもの。
(プロのガイドがいれば別。)

でも、

分かってあげる。
居ることを認めてあげる。

は誰にも出来ること。

それを繰り返し繰り返ししていくと、
(プロのガイドがいなくとも)
いつか必ず声が聴ける。

例えば、

哀しみさんなら、

その哀しみさんがこう言ったりする。

「恥ずかしい自分を隠したいとかね。」

全く思いもよらない
ワードが返ってきたりする。

あー、私の中にある哀しみさんは、

「恥ずかしい自分を隠したい。」って言う

私のその自信の無さが創り出した

哀しみなんだね。

ごめんね。哀しみさん。

分かったよ。

よーく分かったよ。

恥ずかしくない自分を創る為に何か出来る
ことを頑張るよ。
いや、
既に出来ていることがあるかも?

そうだ。あるある。あるよ。

って、哀しみさんに返してみて、

哀しみさんに反応があり、

軽くなれば、

哀しみさん、

ありがとう。

って、

「さようなら」をすれば良い。


「こんにちは」で始まり、「さようなら」で

終わる。


私たちの心の中には、

様々なものがいて、

私と思っている私
私を見ている私
私を注意する他者
私を駄目とする他者

厳密に、自分を自分で
私として明確に定義出来る人は誰一人いない。

だから、

私たちから湧きあがる「感情さん」も
そう捉えればいい。

私の一部。

私の中の分身。

私は大きく、そして広く、

実に実に広大な世界そのものが


「わたし」


だから、

そんな私から湧き出す感情を、

決して無視したり、締め出したりしないで、

認めて、許容し、受容してあげてください。


繰り返しますね。


感情の意味を質したり、

感情のるつぼに入り込んだり、

感情をないがしろにしたり、
無視したり、消そうとしたり、
敵視したり、


そんなことよりも、

友だちのようにその横に座る。


もし明日、
失意の親友が訪ねてきたら、
あなたは何をしてあげますか?


ご参考まで。