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私とあなた

生き方


私とあなた。


実に当たり前に私たちは、

この言葉を使います。

この言葉は、

私の存在とあなたという存在は

同じ存在なんだから、

存在自体を互いに

認め合いましょうって概念に依拠します。


つまり、

関係主義と言えるもの。


でも、


言葉上でや理屈上ではそうだということが

分かってもいるし、

その姿勢であらんとしようと

大多数の善良な人々は

総じて感じてはいるけれど、

そうは簡単にはそうなれない。


何故なら、


あなた。

つまり他者の存在全体を

そのままに、ありのままに、

なかなか私たちは認められないから。


それは何故か?


それは、


これまた当たり前のように、

私たちは、

自分の存在は自分では分からないものだから

あなた(他者)という存在が必要となっている

ってことがあり、

で、

あなたという存在に

認めてもらおうとすると

私という存在は、

どうしてもあなた(他者)の中に、

私と同じ共通項を見出そうとする。


で、

そうなると、


私とあなた(他者)との存在の

共通項がある部分が在ることは認めるけれど、

それは全体ではなく、一部分であり、

それ以外は、

排除するか、見ないふりをするか

そして、

私たちが

無意識のうちについやってしまっているのは、


私とそれ


つまりは、

人じゃなく、




として捉えてしまっているってこと。


で、


それは、サービスの対価を得るってことと

同じ感覚に実によく似ていて、

言わばそれは、


操作主義


と言えるものであり、


自分の思う通りに他者を支配したり、

コントロールしようと無意識に

してしまっているってこと。


で、

それは、


言わば、

自分のコピーを創って自分が安心するサマの

ようなものであり、

その為のあなた(他者)の活用となる。


で、

これは、


これ又当たり前のように、


私とあなたは違います。


っていう概念も並行して

私たちは持っているからに他ならない。


キリスト教では、

右の頬をド突かれたら、左を出せという。

^_^

これが、関係主義の最たるもので、

その感覚は分かってはいるが、

なかなかそれを実行することは

とても難しく、

「そうか、分かった。

じゃあ、あなたが右の頬を殴るなら、

私は左を殴るからそれでもいいかい?」

って取り引きを持ちかけたり、

はたまた有無も言わせず大喧嘩になったり、

果ては悲惨な戦争となることは

目に見えている。


つまり、

裏返して言えば、


私たちは、

関係主義の前提を常に意識して

持ちながら、

操作主義があることを認めて

生きざるを得ない

ってことであり、


その意識がないからこそ

苦悩は続く、あるいは、悩みが消えない

ってことになる。

で、

もっと極端に言えば、


私たちの苦悩や悩みの最終形態は、

事象や出来事にあらず。


それらは

海にそびえる氷山の頂上の一角に過ぎず、

これまで述べてきた

関係主義と操作主義の狭間に揺れる

矛盾や葛藤の為せるものが根本であり、

生きている限りは、

その揺れはずっと続いていく。


で、

その振れ幅を、

いかに小さくしていくか?

はたまた、

その振れ幅が大きくなった時にでも、

いかに早期にその揺れを鎮めるか?

ってことが、

私たちに与えられた課題であり、


最後の最後に言えるのは、

事象や出来事は、

ただただ淡々と粛々と起こっている

ってことだけに留め、

悩みのキッカケとなり得る

事象や出来事が起こった際の苦悩の本質。


つまり、

関係主義と操作主義のバランスに

直ぐに注意を払うこと

に尽きるって、

私は思うのです。



では、

具体的にどうバランスを保つのか?



私の場合での例を最後に挙げておきますね。
(悩みは全て人間関係に起因します。)


不愉快な出来事は、

不愉快をもたらす犯人を探します。

その犯人は、私以外の他者。
(私自身の場合もあり)


「ほんまアイツ鬱陶しい!」

「あっ。あかんあかん。

自分の中で、『私とそれ』 になっている。

相手が尊重してくれないから鬱陶しいんだ。

自我が自らを護る為に

操作主義を主張している。」


しばし、

感情に向き合い呼吸を意識、

又は、

寝る^_^


で、

再び思考を発動し、

「違う違う。

僕は、人間であり、

人間なんだから、人と人の間。

つまり、

関係主義が僕の(人間の)本質なんだ。

だから、

私とあなた

という前提に相手を元の位置に戻そう。」

を思い出す。


で、


再び自らの感情や感覚に聴いてみる。

呼吸を意識し、瞑想なりをし、

又、寝るなりをする^_^


すると、


全体の中の一部の私。

全体の中の一部のアイツ(あなた)。


一部同士である二人の人間。


この時点で、

存在をただただ認めているってことになる。


つまりは、


下の図式


分離→統合(思考レベル)

         ↓

再分離=再統合(感情や感覚レベル)
《分離と統合の垣根がなくなる》


となり、

おしまい^ ^


日常的な出来事、事象(=人間関係)

は、

ほとんどこのプロセスでクリアします。


だから、

とても楽。


ですが、

一朝一夕にはなかなかいきませんよ^ ^


もし、そうなりたいのなら、

そうなれる為の私なりのアドバイス。


先ず、

知識としては、

この概念は、

マルティンブーバーの難解な名著^ ^

「我と汝・対話」が基本となっています。

そして、

その影響が色濃い

フロムの著作を何度も何度も読み返しいく。
(知識ではなく、正確には、体感し、
腑に落としての結晶性知能という意味で。)

そして、

日々の活動や行動は、

『カウンセリングマインド』

特にロジャーズの態度や姿勢を身につけて、

対人関係を構築する。

ロジャーズは性善説に立脚しますから

スキルを身につけるというよりも、

人間性の成長に必ず繋がります。
(精神分析は性悪説。行動主義は白紙説。)

[カウンセリングマインドは僕が丁寧に
お教えいたしますから講座を受けてね^_^
でも、ずっと受け身では流石の僕でも
無理ですよ(T_T)]

そして、

瞑想や、あんまり大声では言いませんが、

神秘体験^ ^


ご参考になれば幸いです。