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万物の自ら然るに輔いてあえてなさず

生き方


老子の言葉です。

世の中が乱れるのは、人々が知識を
求めすぎるからであるとし、
自我を捨て、無為自然の道に従えば
社会は平和となり、人々は幸せになると
説きました。

ロジャーズは影響を受け、
英語でこう表現しています。

The way to do is to be.

be即ち、存在
do即ち、動きや行い

つまり、
存在が大切だねってこと。

互いに存在を認め合える人間関係を
あちらこちらで結べれば、
世の中を創造する礎となるのが
人間関係なのだから、
必然的に平和となり、
必然的に幸せとなる。

きっと、そんなことを言いたいんだろうな
って、私は理解をしています。

知識は大切です。

でも、

知識は所詮は知識であり、

知識偏重になってはいけないと私は思います。

知識が自分を縛るってことも往々にして
あることだし、
知識がある方が素晴らしいや偉いとなると、
傲慢さが生まれ、格差も助長し、
階層が必然的に生まれてくる。

知識をいかに自分に取り込み活用するか?

それを、智慧と呼び、

智慧に優れた人物は、
知識に縛られ人ではなく、
知識から恩恵を得ることを
知っている人物ってことが言え、
総じて温厚でオープンマインドな人柄が
多いような気がします。

自らの存在を高めていくのが知識であり、
知識を知識のみで行使することに
慣れていけば慣れていくほど、
本来の自分からの分離が加速し、
知識ロボットになってしまう。

それは、

当然ながら

智慧とは言えないもので、

ただの物知りと化すのみで、

物知りは、

ITに簡単に取って代わられる。

そうなると、

知識偏重の人の存在はどこにある?

ってことになり、

憂慮すべき事態となる。


今、

政治でも、私たちの日常でも、
かなりの揺り戻しがきているような気がします。

その揺り戻しは、
良いふうになるか悪くなるかは私には
分かりませんが、

確実に、

doじゃなくて、beの時代です。

色んな場面で、

自分という存在と、相手(他者)の存在を
認め合える環境が細分化されていくはずです。

そのコミュニティに属さない人々は、
益々孤立化を深め、
無情を感じることになるでしょう。

とてつもない底なしの真の孤独が
すぐ目の前にそびえています。

どう私たちはその壁や高い山々を
乗り越えていくのか?


私は、

やはり、

それは、

「繋がり」だと思う。


「繋がる」には、


『求めない』。


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