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タガタメ

生き方


誰かを悪者にしたとしても、

それによって

決して心が充たされることはありません。


その行為は、

悪者と

他者を設定することにより、

設定した自分の考えなり思いを

肯定したいだけのことであるから。


これはよく、

大衆を誘導する為に

政治などが利用する手法と同じ。


国対国なんて実に分かりやすいやり方で

常に行っていますよね。


うちは善であっちは悪。

そのやり合いを私たちは日頃から

目にしていて、

そのスローガンなりうち出しが

大きければ大きいほどに

刷り込まれていく。


自らが善の立ち位置にいるものの

本質や内容などを精査することなく、

悪者と設定した奴をそれほどに

叩くのだから、

きっとその悪者は

さぞや極悪人なんだろうと感じてしまう。


ある意味、


数は正義で、

頻度や露出も正義となる。


パワーゲームの戦略としては

とても理にかなっていて、

それも目的達成の為にはありでしょうし、

作戦や戦略としてはセオリーなのかも

知れません。
(敢えて、裏で繋がっているのを隠す為の
極めて高度なパフォーマンスの場合も
あるでしょうしね。)


でもね。


歴史が証明するように、

本当の意味で、

誰かや何かを悪にして、

例え、それにより勝利をおさめたとしても、

それにより、

盛えた国家や人物は皆無です。


何故なら、


誰かや何かを悪にする手法をいつも取る

人(国)だってのが分かっちゃうから。
(ナチスは滅び、ベルリンの壁は壊され、
東西冷戦は終焉した。)


つまりは、


そんなことを感じる人との

付き合いは、極めて表面的で脆いから

簡単に足元をすくわれる。


で、


そんな人は

足元をすくわれるのを分かっているから、


常に悪者を仕立て上げ、

自らの善や正義をアピールしなければ

ならない。


これはとても辛いことだと私は思う。


人の悪口ばかりを言う人と、

本当の心友になったり、

心を気安く打ち明けられる

ような関係性を持てるだろうか?


答えはきっとNOでしょう。


だから、


そんな人は、

いつも自分の中に敵をつくり、

自分の中に悪者をつくり、

そうして

自分自身の存在価値を見出している。


その内実は、

とても孤独で

とても深く寂しいのだろうな

って私は感じるのです。


自分の中に悪者をつくる。


つくってはダメってのではなく、

つくっても良い。

だって、

私たちは人間なんだから。


でも、


つくることにより、

得られる安定は、

その場凌ぎの一時的なものに過ぎず、

国や政治の手法ならまだしも、

人間としてそれに慣れてしまうと、

益々、

人間関係というものから遠ざかり、

益々、

孤立し、

益々、

寂しくなることに

気づいた方がいいのでは?

って思います。


心が充たされるということは、

常に内に内に心の方向を

向けるべきことであって、

自分の心の中に、

敵対するものや悪者をつくり、

そのフィルターを通して自分を確認する

ってことではなく、

その行為をしてしまう

自分の孤独や寂しさを、

それ自体を感じてあげ

癒してあげるってこと。


つまり、


外向きの外から自分を振り向いても

恒常的には絶対に充たされないってこと。


だ・か・ら


悪者探しはもうやめてあげよう。


悪い奴は、

わざわざ

あなたが悪者にしなくても、

それだけの奴なんだからさ。


わざわざ充たされない行為をすることってさ、

意味もなく、メリットもなく、

ましてや、


拭えないよ。


その孤独や寂しさが。


やめてあげてね^ ^

自分の為に。


ご参考まで。