生き方
欲しいものを欲しいと
人は当たり前に言う。
でも、
欲しいものは数々あれど、
欲しいものを手に入れるには
そりゃあ
時間もかかるだろうし、
お金だってかかるかもしれないし、
努力だって必要だろうし、
何より、
自分の中にその欲しいものが
ハマるだけの余地が必要となってくる。
例えば、
たまたまミリオネアになりました^ ^
で、
たまたまデカイお家が手に入りました^ ^
で、
そこで一人で暮らしています。
でも本来は、
ミリオネアではなくとも、
ある程度のお金を稼ぎ、
自分で管理出来るくらいの
大きさのお家を
色々じっくりと調べて土地探しからはじめ、
設計家と首ったけで理想を詰めていきながら、
一人で住むのではなく家族で幸せに
暮らしたい。
でも今はパートナーがいないから
パートナーを探すべく、お洒落に気を遣い、
パーティなどにも足繁く通い、
いつも朗らかで明るい自分につとめている。
でも、
ある日突然、
ミリオネアになっちゃった(^O^)
ビリオネアでもいいけど^ ^
まあ、
家は欲しいのは欲しかったから、
お金もあることだし、
取り敢えずは、
ありものの豪邸を買おう。
まあ、
パートナーはその後でもいいかいな。
で、
すぐにパートナーは出来ました^ ^
でもでもその人は直ぐにこう思います。
ミリオネアの自分だからパートナーが
すぐに出来たのかな???
今まで全く見向きもしてくれなかったのに
自分という存在の価値は
ミリオネアが紐付いているからなのかな?
猜疑心が沸き起こり、
自信もなくしてしまうかも分からないし、
お金というものを
ひょっとしたら憎むかもしれない。
まあ、
現実的に、棚ぼたでミリオネアには
なかなかなれません^ ^
でも、
目標としてや、努力があって、
辛酸を舐めてのお金持ちは、
そのお金を稼いできた自信なり凄みなりが
その人を形創り、人間としての魅力となり、
それがあるからこそ、
お金があろうがなかろうが
っていう心持ちで人と接することが出来、
そういう人は、
お金だけで寄ってきている人かどうかを
明確に見分けて、棲み分けて、選別をし、
お金だけで寄ってくる人も
決して悪い悪くないという価値観で捉えず、
そういう人もいるよね
っていう程度で付き合うことも出来ている。
お金持ちの本当の価値という本質を
分かっているからだろうと思います。
キャパシティ。
や
器。
お金に限らず、
人の魅力はその余地があるかないか?
つまりは、
欲しいものを受け取れる自分であるか
どうか?
余地がないと受け取れないし、
当然に、
余地がないから取り込むスペースが
ないんだから、
努力をすることもなく、
足掻くこともなく、
夢として語ることによりお茶を濁し、
人任せ、運任せ、棚ぼたを口を開けて
いつも待っている。
それは、
欲しいという欲求があるのではなく、
希みという願いがあるのではなく、
暇つぶし^ ^
で、
私は暇つぶしも大切だと思うのです^ ^
だって、
それはそれで幸せなことだから^ ^
そのことに気づければね。
でも、
そのことに気づけないから、
出来ない、出来る、能力がない、ある
的なループに入る。
本当に欲しいものや、
望むものがあればさ、
取り入れる余地を創るもんじゃないですか^ ^
ごく自然にさ。
で、
その余地なりを自身で空けて
空いていることを感じたら、
折角空けた場所は埋めたいなって
思うのが普通じゃない?
だって、スースーして気持ち悪いし
どことなく居心地が悪いからね。
じゃあ、
折角空けたスペースを埋める楽しみしか
残らないよね〜^ ^
んじゃ、
出来る出来ない、能力あるない
なんて言葉は、
絶対に出てこない^ ^
変わりに出てくるのは、
やりたいからやる のみ
つまりは、
出来る出来ないや、能力のあるない
と自分が認識して取り組むようなものは、
全てただの暇つぶしです。
キツいようだけど、
ホントです(><)
だから、
それはそれで、
暇つぶしとしてもっと楽に捉えて
臨めばいいのにって思います。
前述のように、
それは決して悪いことではないのだから。
又、
暇つぶしと分かってやっていたものが、
本当に必要なものだと感じたり、
本当に自身の望むものや欲しいものと
して変わることだってよくあることであり、
そうなれば、
話を元に戻すと、
自分の中に余地(スペース)
を広げるしか方法はなく、
それを広げるのは、
旧いもう使わないであろう価値観や、
旧くて使い過ぎて悲鳴をあげている
自分を苦しめてきた信念や、
そんなものを捨てることしかない
ってことになるってこと^ ^
それを、
人々は
変化
と読んで、
私たちが欲しがるものの
いつも上位争いをしている
常連さんです^ ^
争っているのは、
大概
安定ってやつと^ ^
ご参考まで。