2021年
あけましておめでとうございます。
本年は私たちの暮らすこの世界が
どうかより善き年となりますように。
「素晴らしきかな、人生」
というウィル・スミスさん主演の
映画があります。
その映画は、
[愛][時間][死]
というテーマを取り上げています。
[死]は誰しもに訪れ、
[時間]は誰しもに平等に流れ、
[愛]は誰しもが感じるもの。
劇中にこんな一節があります。
私は、愛を感じることがなくなった。
私が愛そのものとなったからだ。
これは、
主人公の会社の共同経営者でもあり
親友の男性の言葉です。
彼の娘に対する想いを表現したもの。
つまり、
対象となるものを欲している時、
もしくは無い時は、
人は[愛]を感じ、
対象となるものが手に入ったり、
ある時は、
人は[愛]を感じない。
前者は願望のなせるもので、
[愛]は外部の存在。
一方、
後者は[愛]と自分とは一対。
一対だからこそ感じるというのではなく、
当たり前のようにそこにあるってこと。
わざわざ言葉にしなくとも、
確実に自分自身が[愛]の存在だと
実感しているってこと。
そう私は理解しています。
今の世の中を見渡すと、
多くの人々が、
愛が欲しい。愛が欲しい。愛が欲しい。
愛されたい。愛されたい。愛されたい。
かく言う私もその一人かもしれません。
だから苦しい。
でも、
私たちは叡智ある存在です。
だからこそ、
少なくとも
自身が[愛]そのものになろうと
努力することは出来る。
それは、
決して崇高なものではなく、
決して難しいものではなく、
自身がそう決断すれば良いだけのこと。
多くの人々のその決断が、
世の中を変えていき、
自分自身を潤していく。
そう私は想います。
やり方を教えてくれですって?
簡単です^ ^
たくさんのものを
たくさんの人々へ
与えなはれ
どうぞ、
より善き新年をお過ごしください。
2021年元旦
ココロテラス
津村健司