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意思決定

私たちは誰しもが、

 

自分のことは

自分で決めたい

 

と思っている。

 

それが証拠に、

 

何かを選ぶ際に、

その選択を制限されたり

その選択を否定されたり

抑止されたりすると、

心理的リアクタンスが生じ、

無理やりでもその選択を

通そうとすることがある。

 

何故その選択を選んだのか

という最も大切な動機が薄まり、

制限や否定や抑止に抗うといった

ある意味、その選択に関係のない

事柄に捉われ、

自分のことは、自分で決めたい

が過度に顔を覗かしたり、

その選択をする

自分が一番正しいって

ことを検証する

といった意固地な自分や、

自分が決めたこと、

自分が言い出したことは

全て正しいべきだといった

べき思考や、

自身の判断が間違えていることを

認めると、自分のことすら自分で

決められないのかお前はといった

とてつもない恐怖感や焦燥感等

が顔を覗かせたりして

割と冷静さを失って^^

その選択が

より素晴らしいものに

見えてしまったりもする。

で、

 

あとで(多分かなりあとかな)

後悔することが

実はとても多い^^

(それも自己管理方策を学ぶためを

積み重ねて体感する上では大切なこと)

 

※自己管理方策

自分の人生を自分でコントロールし、

誰の援助もなく「自分のなり得る人間」

に向かって機能出来るようになること。

 

 

選択とは、

意思決定の連続です。

 

私たち人間の行動は、

先ず、何かをしようとする

「意思」があることが前提。

 

それに続いて、

 

それをしたいという

 

「願望」が起こる。

(この願望が、心理的リアクタンスの

解消って方向にいくとおかしくなるから、

刹那的、短絡的でなく、

その場に立ち止まって

冷静にじっくりと検討すべき。)

 

※簡単な例

親がいつも口うるさいのが嫌だ。

だから、

早く一人暮らしをしたいから

東京の大学に行きたい。

 

この場合、

東京の大学に何をしに

何をしたいから行くという

動機付けが上回るのか、

はたまた、

親との関係性を解消したい

という願いの動機付けが

上回るのかを冷静に分析し、

どちらの願いが大きいか等を

検討する必要がある。

(その時代は冷静な判断は

なかなか難しいですよね^^

この簡単な一例は、

どちらが正しく、どちらが

間違っているということではなく、

まあ、

大人になってからの私たちにも

対象が、親ではないだけのことで、

日常、

類似の事象は沢山起こっています。

だからこその一例。)

 

で、

 

その願望「願い」が

 

あって初めて人は努力の引き金を引き、

ある行動に踏み出す決心をし、

 

行動を開始する。

 

逆説的に言えば、

 

 

願い

 

 

がなければ

 

行動に移さない。

(移せないとも言える)

 

 

つまりは、

 

 

意思決定出来ない

 

 

ってこと。

 

 

選択が出来ない

判断がつかない

 

 

ってこと。

 

 

これが、

生きていく上では

最もしんどく、

 

自身の存在価値や存在意義、

はたまた、

自身の居場所

 

などという

私たちの根幹的な悩みの

根源となり得ます。

 

 

あなたの「願い」は何ですか?

 

秋の夜長に

じっくりと考えてみるのも

ありですよ。

 

心の声を聴きながら。

 

ご参考まで。

 

津村健司