自分も他者も
責めない
に限る。
自分を責める人は
他者を責めることも多く、
(無意識に
行っていることが多い。)
自分責めを
他者に振り替えることで、
一時のストレス解消の
ようにはなるかもしれないが、
それは、
自分を責めることが
人として
正しいことだからとか、
(良し悪しは別として、
律する、律したい、
律するべきだに近い感覚)
自分自身の正しさを証明し、
それを実感する為に
他者責めをしてしまう等で、
その実、
だからこそ、
自分責めが
益々強化され
苦しくなることを
知る方が良いと思われる。
つまりは、
責める
という行為が、
どこか、
正しさの象徴のような
ものなのに感じている
からかも知れない。
大人しくする。
人に合わせる。
人と仲良くする。
人に優しくする。
周りに合わせる。
気遣いを怠らない。
礼儀正しくする。
整理整頓はキチンと。
時間は必ず守る。
約束は破ってはならない。
等々・・・
数限りない
取り決めというか、
決まりというか、
常識というか、
普通というかがあるが、
それ本当に、
自分自身がそう感じているのか?
ってことを問うべきである。
それ、
自分じゃなくって、
例えば、
親とか、先生とか、上司とか
世の中とか、
あらゆる他者の受け売り、
つまりは、
最大公約数で、
何となく正しいと感じているに
過ぎないのではないのかと問う。
又そして、
その正誤を判断し、
審判するほどの
気概や、自信が
自身にあるかも問う。
これらは何も、
世の中に対して
無責任に
なれということではない。
見て向ぬふりを
奨励するものでもない。
責めるのではなく、
説明を。
説明の中の根拠に、
自分の感情や想いを。
普通や常識を
振りかざし、
自分という範疇から
逃げるのではなく、
自分は率直に
こう思い、こう感じます
だから、
出来るなら、
やめて欲しいです。
やめてくれると嬉しいのですが。
で、
やめるなり、
やめないなりは、
相手の判断に委ねる。
という姿勢を。
これらが出来得れば、
自責の人は自責が確実に減り、
他者を利用した
いつも他責の種を
無意識に探している
といった
無益な活動から
解放されていくでしょう。
ご参考まで。
津村健司