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共感性


人と人との繋がりにおいて、

 

共感性や共感力って

 

とても大切な要素です。

 

でも実際は、

 

共感性が高い人もいれば、

 

低い人もいて、

 

なかなかにかみ合わないのが

 

この世の実際です。

 

 

その際の

 

その人を取り巻く環境や、

 

性格因子や特性や、

 

ひょっとすると、

 

機能的な問題や、

 

病的なものや、

 

実に様々な要素が考えられます。

 

ただ、

 

共感性が

 

高いから良く、低いからダメという

 

ようなものでもなく、

 

高ければ、

 

極度に疲れる可能性もあるだろうし、

 

低ければ、

 

その環境から排除されてしまう可能性も

 

高まるだろうしなどの

 

デメリットはあるにせよ、

 

 

人間関係を決定づける

 

マスト要素

 

 

として、

 

共感性を前提にしがちなのは、

 

正さなければいけないと思うのです。

 

 

共感性が高いも低いも

 

それはその人の特性である。

 

 

こう思えるか否か。

 

 

職場でも、プライベートでも

 

モラハラ気質な人は沢山います。

 

HSP気質の方々も沢山います。

 

その特色が、永続的な人もいれば、

 

その時々によって変わる人もいる。

 

 

他者の世界観や、

 

他者の気持ちを慮り、

 

想像力をいかに働かすか。

(それが、

身近な人であってもなかっても)

 

しかも、

 

それを言語化し、

 

相手に伝え返すという

 

共感的理解を示すなどは、

 

技術もいるものであり、

 

技術には修練も必要です。

 

 

それを大切な価値観としてや

 

素養として捉えている人もいれば、

 

そんなものは無用だと捉える人もいる。

 

 

実に千差万別。

 

 

だからこそ、

 

特性や資質と捉えた方が良い。

 

 

それを、

 

優劣などと思う思い上がりを止め、

 

良し悪しなどという短絡的な発想を止め、

 

 

仮に、

 

相手がそういった共感力なりの資質が

 

無かったとして、

 

そこに焦点を当てるのではなく、

 

 

その他の肯定的資源の探求に務め、

 

それを見出し、

 

そして、

 

付き合っていくかどうかを決める。

 

 

又、

 

 

例えば、現象面として、

 

危害を加えられるや、

 

犯罪性があるや、

 

迷惑をかけられるや、

 

などがあれば、

 

それに対する対処を然るべく行い、

 

相手に自身の価値観との相違を

 

毅然と確実に、

 

批判や非難を交えず淡々と

 

現象面だけに焦点を当て伝える。

 

 

適切な距離感を置く。

 

適切な距離感を置く手法を学ぶ。

 

 

これらを検討することも勿論良い。

 

 

共感の時代

 

 

と言われて久しく、

 

人の心を慮ることが

 

何より重要と、

 

組織にしても、

 

個人にしても

 

言われがちです。

 

でも、

 

それは、

 

ある一面に過ぎないもの。

 

そこに捉われると、

 

ついつい人は、

 

自他共に、

 

 

審判をしてしまうもの。

 

 

審判を下すということは、

 

自身に重荷を多分に背負わせる

 

可能性も高まるってこと。

 

 

私たちはそこに気づいて

 

いかなければならない。

 

何故ならば、

 

それが、

 

 

生き辛さの一因でもあるのだから。

 

 

ご参考まで。

 

津村健司