受容


受容とは、ともすれば、

自分自身の感情統制を

し過ぎる危険性がある。

受容に縛られすぎることによって、

自分に負荷がかかることは

真の受容ではない。

下手をすれば、

受容という自分で思い込んでいる概念に

逃げているかもしれない

自分に気づくことも必要である。

それ程、

受容というものは難しいものであり、

その呪縛に捉われると、

自身も他者も結果的に傷つけてしまう。

極めて取り扱い注意の心の働き。


承認欲求


承認欲求(他者承認)を完全に捨てた時に、

人は真の幸せを見つけることが

出来るのではないだろうか。

その問いに対する答えは誰にもなく、

その域に到達した人は未だ誰もいない。

でも、少なくとも、

バランスを意識することを私たちは出来る。

そのプロセスを学び、

自身でコントロールすることも出来る。

バランスとは、

他者承認ではなく自己承認への

ウェイトを増やしていくこと。

この相互のバランスを体得した時、

私たちから

悩みというものは消失する。

これは、確実な真理。


自我防衛機制


精神分析学における厳密な定義では、

あらゆる本能的欲動を

自我が管理する方法が防衛である。

よって、

人間は常に欲動を防衛していることになる。

人間の文化的活動や創造的活動は

全て本能的欲動を防衛した結果であり、

その変形に過ぎないとされている。

(フロイトっていう人の理論です。)

心理学って難しいことを

より難しく書きますよねー。

今回は、

「自我防衛機制」というものを

ご紹介いたします。

精神分析の分野で難しいですが、

より日常の人間関係の在り方や捉え方を

考えるのに結構役に立ちます。

 

さて、皆さんは、

他者に対して行動や言葉などで

イラッっときたことがありますか?

当然、人ならばありますよね。

私はあります。

何かこやつは

”鼻に付く”だとか、

”やたら自己主張して嫌な奴”とか、

”なんでこんなに目立ちたがりなん?”とか。

結構あるかなって思います。

その時何故、

自分は不快に思っているのかを

よくよく考えてみて下さい。 

実は、全てとは言いませんが、

「自分自身の嫌な面を

相手に見つけているんですよね。」

「自分は我慢しているのに、

こやつは平気でそんなことをする。」

などね。

 

これを「投射」とか「投影」と言います。

 

自我防衛機制の一つです。

 

要するに、

自分が本能的に、

自分自身が自分自身の中にあって、

嫌だなっと思っている面が、

鏡となって映っているのです。

そう考えるとどうでしょう。

あ、この人は、

私と一緒の嫌な部分を持っている。

私もひょっとして

こんな風に見られてるのかなって、

冷静に自分自身を俯瞰することが出来ます。

(人の振り見て我が振り直せっていうやつ。

意味合いは、他人の行動を見て、

良いところは見習い

悪いところは改めよということ。)

そうすると、

不思議と腹立ちや怒りや不快感は薄らぎ、

あー、教えてくれてありがとうっていう気に

なりませんか?

少し、気持ちが楽になりませんか?

感謝、感謝です。

ひょっとしたら、

その人が可愛そうに思えるかもしれません。

全くの赤の他人ならまだしも、

例えば職場の上司なんか、

くそーこのおやじー!!っと思っても、

言い返すこともままならず、

仕事が嫌になったり、

ひいては、そのことが積もりに積もり

退職なんてことも・・・

実際に、私の知っているある大きな会社の

退職理由NO1は、上司が嫌!!

っていうのがダントツでした。

とても勿体ないなと感じます。

まあ我々は聖人君子ではないので、

完全にこんな考え ムリムリ!!

ってしてしまうのは簡単ですが、

一度、人間関係で悩んでらっしゃる方は

ご参考になさっても

損はないかなって思います。

そして、逆もありますよね。

例えば、何かこの人

”いい感じ”だとか、”好感が持てる”だとか、

他人に対して良い感情を抱くのは、

自分の良い部分が

他人に映っているんですよね。

これってとても素敵なことだと

思いませんか。

ご自分の恋人や、パートナー、

親友なんて、よくよく考えてみると、

自分と内面の本質的部分が

似ているなって感じませんか?

そこに私たちは、

魅かれ合っているのかも知れませんね。

だから、固く繋がっていると言える。

(全く性格が違うから魅かれ合う

なんて方がいらっしゃいますが、

その逆だと私は思います。

例えば、

自分の本質(本音)を隠すのではなく、

堂々と言動や行動に表している人に

魅かれたりするのは、

自分の持っている本質と同質だということ。

表面は違うように見えても、

内面は同じものを有していて、

自分も本当は本質(本音)で生きたい。)

 

※魅かれているという肯定的なものは

良いのですが、下記のように感じたり、

思考したりならば、

投影、投射を思い出し、

その人からの「学び」として、

ありがたく受け取ることをお勧めします。

例)

(けど、生きれないから、

嫌悪感を用いて、

本質(本音)で生きれない

自身の心を防衛している。)

(けど、生きれないから、

劣等感を用いて、

本質(本音)で生きれない

自身の心を防衛している。)

(けど、生きれないから、

極端にその人を神格化して、

本質(本音)で生きれない

自身の心を防衛してる。)

などなど。

 

つまりは、私たちの精神は、

自動的に、

様々な外界の刺激から

自身の心を守っており、調整をしており、

行き過ぎたこの調整が、

心のバランスを崩してしまうと考えられます。

(id[Es}・ego・super-ego)

 

このような仕組みや

原理、原則知っているかどうか?

義務教育では

決して教えてくれないものだから、

心理教育の必要性を私は切に感じます。

だって、誰もが活用出来る

生きる上で、

とても大切な智慧だと言えるものだと

思いますから。