自他の分離


自分と他者との境界線。結構線引きが難しいですよね。私がこうだからきっと相手もこうだろう,きっとそうに違いないといった勝手な思い込みで、対人関係の軋轢が生まれます。(近しい関係では特に起こりがちとなります。) 又、正義と正義の戦いが忌まわしい戦争や争いに繋がっていく悲しい現実が世界で日常茶飯事に起こっています。

今、この瞬間を意識しながら生き、その今を、共に他者と生きている世界と認識し、自分を大切に出来るからこそ他者も大切にすることが出来るという価値観を醸成していく。私は私、あなたはあなた。それは決して冷たい意味合いではなく、共創という私たち人類の生まれ持った慈愛を体現できる世界を皆で創っていく。互いの存在を認め合える文化。

その為には、家族であっても他者という概念を持ち、自身の想いや気持ちを純粋に、素直に吐露し、相手の想いや気持ちを心で聴いて受け入れていく。その為には、コミュニケーションが大切でもあり、コミュニケーションの質も問われる。自分と他者の乖離が広がっているようでいて、その実、かなり近接化が進んでいる。即ち、自分中心の世界観に席巻されているからこそ生き辛く、孤独感が増している。最近、私はそんな風に世の中を見渡しています。

 

I do my thing, and you do your thing. I am not in this world to live up to your expectations, And you are not in this world to live up to mine. You are you, and I am I, and if by the chance we find each other, it’s beautiful. If not, it can’t be helped.

 

「わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。私は私。あなたはあなた。もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ」

 

ゲシュタルトの祈り

フレデリック・S・パールズ