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時に必要、時に不要

生き方


価値観や信念ってとても大切。

価値観や信念がないと

人は生きる指針がなくなり、

羅針盤のない大海原を漂流することとなる。

一方、

価値観や信念が我々を縛りつけることもある。

特に対人関係において、

他者にそれを押しつけることもあり、

又、

自分自身を深い自責に

いざなうことにもなる。

厄介なシロモノですね^ ^


自分の持つ価値観や信念を

自分自身で明確に

分かる人はなかなか少なく、

又、

分かってはいても、

それを具体的な行動として表すことが

出来る人は更に少ない。


価値観や信念なんて追求しなくても

生きられる^ ^

ってのも確かなこと。

答えは多様だし

探し出したところで多少、

生きやすくなるだけ。

平素はね。


でも、

人が悩み苦しい時は

必然的にそこに向き合うことになり、

向き合い方が中途半端だと

その向き合って解消されていない部分や

解消出来ないままに抱き続ける自責などが、

更に乗っかり苦しみが倍加する。


だから、

苦しい時はとことん苦しむことが大切で、

哀しい時はとことん哀しいことが大切だと

私は思う。

辛くしんどいことだけど。


発展的に考えていくと、

人は傷つかないと自分を分からないし、

人は誰かを傷つけないと自分を分からないし、

人は恥ずかしい思いをしないと自分を

分からないし、

人は誰かに恥ずかしい思いをさせないと

自分を分からないし、

人は挫折しないと自分を分からないし、

人は誰かに挫折をさせないと

自分を分からない。
(良し悪しや善悪はあるけれど、
経験値として。分からない感じない人も
事実、一定数世の中にはいる。)

つまり、

ネガティブな経験値が高いほど、

人は自分自身の価値観や信念を

はじめて身を持って知ることが出来る。

だから、

修整することが出来る。

修整しようとする。

それは、

生き方が今までとは変わるということを

意味する。


出来れば、

そんな自虐的に生きない方がいいと思う。

出来れば、

そんな困難にわざわざ踏み込まない方が

いいとも思う。

でも、

自虐の世界や困難な道に

もし、万が一踏み込んでしまったら?


私のブログは

そんな方々へのご参考です。

つまりは、

答えの一部でも

自分が自分の力で出せるまで、

進まなしゃあない^ ^


ゆっくりと。

でーんと構えてしっかりと焦らずに。


自分が特別とかおかしいのではなく、

そんな仲間は見えないだけで

とても多いのです。

それだけ、

生きるってことに真面目で実直で真剣なだけ。
(優等生って意味ではないですよ。
念のため^ ^)

多分、

死ねまでそれは続くでしょう^ ^

で、

最後に

答え合わせをして、

100点満点はあり得ない。

ってことも知っておく必要がありますね。

だから、

一つずつ一つずつ。

根気よく根気よく。

幸せになる

という前提を持って。