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自分の為に泣いてくれる人

生き方


自分が落ち込んだり、

崖っぷちに立たされた時、

一緒に ただただ側にいて、

泣いてくれる人が必要です。

そんな人は一朝一夕には出来ないもので、

出来るかどうかも分からない。

でも、

ただただ側に寄り添って、

ただただ側で聴いてくれ、

ただただ共に肩を寄せ、

ただただ共に涙を流してくれる存在。

それだけで、

人は救われる。


裏を返すと、

そんな誰かの存在となれた時、

人は純粋無垢な生身の存在として

はじめて自分を見つめることが出来、

自分の価値がはじめて分かる。


ただただ寄り添える自分。


だからこそ、

寄り添ってあげているのではなく、

寄り添わせてもらっている。

とも思え、

誰かの役に立つ自分を

自らが貴重で稀有な存在と認め、

もっともっと慈しむことが出来る。

もっともっと喜びを感じることが出来る。


やってあげているってのではなく、

やらせてもらっている。


謙譲でも謙遜でもなく、

犠牲でもなく、献上でもなく、

ましてや、義務なんてもんじゃなく、

自らの純粋な心に基づいて。


やらせてもらいたい相手が何人いるか?

私たちの存在が試されています。

それは実は、

誰かに試されているものではなく、

自分自身が無意識に試している^ ^


だからこそ、

やらせてもらえる自分を創る為の

愛しみ。


これこそが

自愛

の正体であり、


必要は発明の母

にも繋がる発想力となると

私は思います。


人の根本は

様々あれど、

人間の根底には 愛 が必ず潜んでいる。


貰いたければ与え、

与えれば貰え、

その循環が自らを満たす。

だから、


与えたければ

貯めなきゃね^ ^

ガス欠では決して与えることは

叶いません。


即ち、

自愛の方法が分からないと

こぼすあなた^ ^


自愛の方法なんて誰かに聴いても

必死で検索したとしても

答えなんてのはない。

だから、

無い答えを探しているとも言える。


そんなことよりも、何よりも、

そもそもの目的である

誰かの為は自分の為

を前提に、

誰かの為

ってところに焦点を当てていくと、


勝手に自分を愛することが

誰でも簡単に出来るもの。

だって、

そんな自分を創るには

どうしたら良いかを必死になって

自分の中に探すから。

だから、

方法なんてどこにもない。


あるのは、

ただただ自分の内にのみある。


少なくとも、

私はそう感じています^ ^