恋愛
最近なのかどうなのか
妥協婚
なる言葉があります。
トキメキもへったくれもなかったり、
様々な要因が重なって
結婚という形態を第一義とする。
その理由は
親を安心させたいが為や、
周り(友人や社内など)の疎外感から
身を守るため。
そうせざる得ない気持ちは分かります。
辛い決断なのかもしれません。
でも、
妥協された相手はどう思うのか?
一生?を相手の妥協相手にさせられる?
逆の立場なら?
うーん。
暗澹たる想いに駆られます。
また、
その妥協婚なるものをした本人さんも
果たして幸せなんだろうか?
幸せになれるのでしょうか?
5年後、
10年後、
20年後、
30年後、
どうなっているのかな?
親がいなくなり、周りとも疎遠となり、
夫婦で向き合った時、
どんな会話を一体するのだろうか?
まあ、
ご自身でご自身を私(僕)妥協婚したんだ
って揶揄することはあるのでしょうが、
そうではなく、
もし、子どもさんが産まれたなら
本当の意味での妥協での結婚だとしたら、
果たして、
その子を夫婦二人で温かく愛することが
出来るのだろうか?
老婆心ながらそう思わざるを得ません。
ただね。
結婚するにあたり、
好みじゃなかったり、
条件が合わなかったり、
恋愛のようなトキメキがなかったり、
ってのはあるかもしれません。
でも、
相手に何がしかの尊敬の念は
あるんじゃないかな?
いや、
少しでもあると信じたい。
そうすれば、
妥協婚
って言葉のニュアンスは変わってくる。
相手への尊敬の念は
愛の芽であり、
育つ可能性は二人の歴史の歩み方によっては
違ってくるから。
もし、
もしですよ。
本当に妥協婚をしたと思っている方が
いらっしゃれば、
そのあたりの自分の相手に対する感情を
見直したらいいんじゃないのかな?
もし、尊敬の念を感じたのなら、
それは
妥協婚
ではなく、
発達課題の為の婚姻。
つまり、
発達婚
とも言えるものだから。
批判されるかもしれないが、
僕たちのおじいさんやおばあさんの世代よりも
まだ上の世代の婚姻は、
大概が親の決めた人との婚姻と聞く。
昔は離縁も許されない時代。
今の世界では考えられない時代。
でも、
その当時の、
特に女性は沢山の子どもを育て、
人には言えない苦労もされてきただろうし、
男尊女卑も著しかっただろうし、
価値観がこれ程までに多様化しては
いなかっただろうが、
どうなんだろう?
不幸せだったのだろうか?
確かにトキメキや趣味趣向も合わない
相手だったかもしれないが、
それは
妥協婚
なるものだったのだろうか?
もし妥協婚という言葉が適切ならば、
その時代の女性には当てはまるのかも
しれません。
ただ、
善し悪しではなく、
あくまでも、
今現在の価値の中の私から見ると、
勿論、不幸だと思う面は沢山あるし、
勿論、逆戻りの主張をするはずもないが、
発達婚
というものも
やっぱり存在したんじゃないかな
って思いたい。
私のじいちゃん、ばあちゃんも
親の言いなりだったって記憶しています。
だから、
そうあって欲しいって願望だけかもしれない。
でも、
人が人に対して
妥協
って言葉で括るのを
どうしても看過出来ない私がいるのです。
男女お互いが
不幸にはなって欲しくないな。
婚姻の形態が今後益々変わっていくでしょう。
家族の最小単位が夫婦です。
だから尚更、
妥協婚
って言葉がね。
とても悲しい気分になるのです。