· 

きつい時こそ

生き方


人生には

きつい時、厳しい時

っていうのが誰しもに訪れます。

一度や二度じゃなくて、

何度も何度もね。

でも

いつの間にか、

乗り越えているってことがある。

あれ?

あんな苦しかった日々が

本当にあったのか?

ってね。


人は

辛く苦しいことにはとても敏感です。

痛みに敏感なのと同様に

早くその痛み、辛さ、苦しさから 

逃れたいと願う。

そして、

その状態がこのまま未来永劫続くのだろうか

という途方もない怖れが

私たちの身体を極度に硬直させ、

縛りつけて動きを封じてしまう。

身体=心

であるから

心が固く固くなるのは当然のこととなる。

で、

話を元に戻します。


あれ?

あの本当に苦しかった日々は

本当にあったのか?

ってのは、

心が緩んだ状態ではじめて感じられるもの。


それは言わば、

怖れのない状態。


ってことは、

緩んだ状態を心に創ることが

出来たなら、

必然的に

怖れはなくなるということ。


では、

緩んだ状態をいかにすれば創れるか?


それは、


あるがままを受け入れる。

で、

なんとかしようとしないで

あきらめる。

で、

最も大切なのは、

決して自分が不幸せだとは思わないこと。


現象は不幸せかもしれないが、

不幸せの前提では決して生きないこと。


現象は不幸せかもしれないが

それがどうした?

何かあかんか?

と開き直り(強がりではなく本心で)

現象が不幸せでも良いと

自分で自分に許可を出す。


そうすると、

必然的に

緩み

ます。


つまりは、

幸せのハードルが高すぎるってことに

気づいていけるってこと。


幸せの

創られた強迫観念に囚われている自らに

気づいていくってことが、

私たちが

幸せになる為の最短最強の方法だと

私は思います。


世に言う三大幸福論。

ヒルティの幸せの信念をベースに

ラッセルの外的好奇心を参考にし、

アランの行動力を真似てみる^ ^


と、

導かれる答えは


私たちの

幸せ

のハードルが不明瞭

ってことに気づきます。


だから、

私は幸せでなければならない。

をまずは外すことからスタートすると、

幸せ

の前提が明らかに変わっていくのです。

そうしながら、


幾度も幾度も迫りくる困難に対応していく。

でも怖くはない。

だって、

幸せのハードルが低いのだから。

逆に言えば、

幾度も幾度も困難が迫りくるのは、

自分の

幸せのハードルが

高すぎる

ってことが言えるかもしれませんね。

そのハードルの基準は

どこから来たのかな?


じっくりと考えてみることを

おススメします^ ^