ココロテラス:心理カウンセリング・キャリアコンサルティング大阪梅田[嫌なものは嫌だ。]

生き方


「嫌なものは嫌だ。」


これを割りと平気で言える人と

これを全く言えない人と

関係性によって使い分けている人と


まあ、

この3パターンの何れかに私たちは

当てはまると思います。


割りと平気言える人は
(まあ、
何でもかんでもの人は考えものですが^_^)

あまり問題ないかもしれません。

でも、

全く言えない人はなかなかストレスがかかる。
(言わないという選択で、ストレスを抱えない
のなら問題はないと思われます。)

また、

関係性によっては言える人でも

その関係性の範疇が、極めて狭い場合、

社会生活全般という観点から見ると

これ又ストレスがかかる。
(全く言えないよりはマシですが、
この人には言えてこの人には言えないは、
かえって全く言えない人よりもストレスが
かかるかもしれない。全く言えない人は
言わばそれが自分だってことを、
[私はあまり良いとは思えませんが]
言わば自覚しているから
慣れている可能性がある。でも、関係性に
よっては言えるという場合、言えない自分が
余計にクローズアップされるってこともあり、
言えない自分を情けなく思ってしまう
ストレスが余分にかかる[これが本質]可能性が
ある。ということ。)

で、

起因する問題は何か?ってことを

考えてみると、

「嫌なものは嫌」


「断れない」の背景にあるのは

『自己信頼』だと私は思います。


嫌だ。

断れない。

は、

嫌と言ったら相手は?

断ったとしたら相手は?

に起因し、

嫌と言ったら嫌われる。

断ったら評価が下がる。

嫌と言ったら干される。

断ったとしたら邪険にされる。

などなどを私たちは思ってしまう。

確かに怖いですよね。


誰だって、

嫌われたくないし、

評価も下げたくないし、

干されたくないし、

邪険にされたくもない。

で、

そこで、


もし「自己信頼」していたらどうでしょう?


その人に例え嫌われたとしても

私なら他に好いてくれる人はたくさんいる^_^

だとか、

この仕事を干されても私の能力なら

他にもっと発揮出来る仕事がある。

だとか

きっと思える可能性は広がると思われます。

又、

タイミングってこともあるでしょうね。

例えば、

近々に

自分の言うことに多くの賛同が得られたり、

最近は

仕事が調子良く波に乗っていたりとか。


でも逆に、


それらが無い時や失敗が続いたりしたときは、

基準としての自分の中での

バロメーターや根拠が薄くなるだけに、

「自己信頼」が出来ず、


嫌だけれど嫌と言えない。

断りたいけど断れない。


が起こってしまう。


でね。


そんな時、

考えて欲しいのは、


人は誰でも例外なく

「自己信頼」していた時がある。

ってこと。


それは・・・


ほとんどの方は記憶にないでしょうが^_^
(ある人もいるそうです 驚)


赤ちゃんの時にお腹減ったら泣き叫ぶ(^o^)


『自己信頼』の紛れもなき証です。


だって根源的な力強い生命欲求だもんね。


自分はお腹減ってるんだよ〜!!


という圧倒的な『自己信頼」。


誰もが経験を必ずしていることです。


でも僕たちは

自分を信頼していないという経験を

積んでいく。


親、教師、社会などなど

自分以外の他者から植えつけられていく。
(規律とか規範とか常識と言われるやつとか
自分の中で腑に落ちるものは良し。)


例えば、

嫌だと言ったら人に嫌われますよ〜

だとか、

右に倣え、はい!整列!

だとか、

反抗的な態度を取るからお前は晩メシ抜きだ!

だとか

会社というのは決まりごとだよ!
バレたら多少はヤバイけど、
利益が最優先なんだから、
多少の嘘もありですよ。
だから、
皆んなやってるんだからお前も
やらなくちゃ!
だって、給料貰ってるんでしょ!!
(郷に入っては郷に従え)

だとかね。


枚挙に暇がありません。


でもさー、

そろそろ自分に復権しましょうよ。


私は同調行動が苦手で?

いつも落ち着きがなく、

皆んなに合わせられないことが

小学校の低学年まで続いていました。

学校の先生にも

よく廊下に立たされましたし^_^

耳を思いっきりつねられましたし^_^

親父にもどつきまわされましたし^_^


で、


成長し、大人になり、働き、

交友関係も広がり、異性との交際もあり、

遊びも覚え、学びもし、

経験を積み重ねれば積み重ねるほどに

こう思いました。


嫌なことを嫌と言えないことが嫌だって^_^


だって、

それで(言わなかったことで)

得したなんてことがなかったから。


又そして、

嫌なことをする時には

必ず

「させられてる」感が満載だから。


で、


今は

「嫌なことは嫌」と言え、

「断る」ことも割と躊躇なく

出来るようになりました。


どうやって?


はい。


やってみたから^_^


で、


やってみると(少しずつ)、

叱られたり、怒られり、諭されたりは、

相手の都合や体制の都合や

相手の思惑や体制の思惑や

それにそうか沿わないかの話だけで、

沿わなかったとしても

継続する関係もあるし、その逆もある。


又、

驚いたことに、


お前は素直や

とか

お前は正直や

とか

お前は裏表がない

などと

余計に信頼をしてくれる人もいることを

身をもって知れた。


つまりは、


やってみたから^_^


勿論、

何でもかんでもではないし、



お断り

の場合には、


必ず、

代替え案(コントラティブなフィードバック)


相手にキチンとその理由を説明することを

厭いません。


それがめんどくさいと言う人もいるでしょう。

でも、

めんどくさいことと

自分が嫌々従ったり行ったりを

天秤にかけるとね。

私はめんどくさいことを取っちゃいます。

だって、

私は、


赤ちゃん大人だから(o^^o)


だって、

正直、

[いつもいつも程の自信はないけど]

大概は、


『自己信頼』


を自分が自分にしているから。



もしね。


嫌なことを嫌と言えない


断れない


ってことで

悩んでいる方がいらっしゃれば

試しに

私を否定してみてください^_^


否定に否定で返す場合も

勿論あるでしょうが、

理解出来る否定ならば必ず受け入れます^_^

決してそれだけのことで、

嫌ったり、排除したりはいたしません。

で、

私を理解さすには

めんどくさい説明が当然いるでしょ^_^


ほら〜

やっぱり


めんどくさい


ことが大切な訳です。


又そして、

決して、それだけで

嫌われないってことも

きっと分かって頂けるはず。


その他に具体的には^_^

ですが、

この方法がおススメです。
(今回のケース以外でも割とおススメする
アクテビティです。)

それは、


試しに、

あなたの事を本当に大切に思ってくれる人に

協力を仰いでください。


こんな風に言って。


「自分を変えたいからさ。

悪いねんけどな、

これからさー、

嫌なことは嫌ってハッキリと言ったり、

あなたの誘いを断ることも

ひょっとしたら増えるかもしれんけどさ、


練習中だから、


協力して欲しいねん。

頼むわ。」

ってね。


そこから徐々に外の関係性に

広げていけば良い。


嫌なことは嫌

って言える


「自己信頼」への復権(回帰)を

そろそろはかる季節がやってきたんじゃ

ないですか?


昔出来ていたことが何故出来ないのか?

ご自身を責めたり、

他者を恨むよりもまず、


やってみる。


で、


感じてみる。


本当のことを。


その動機づけの一助にでもして頂けたなら、

嬉しい限りです。


その

お試し(練習)相手なら

喜んでお引き受け致します。


お金貰うけどね^_^