ココロテラス:心理カウンセリング・キャリアコンサルティング大阪梅田[変化の鏡]

生き方


自分では意識出来ないし、

自分では感じないし、

自分ではそう思わないし、

自分では気づかない

その人の醸し出す雰囲気や

その人の対応の仕方や

その人の言動などの変化。


「あれ〇〇さん 変わったね^_^」

「えっ?何が?」「えっ?どこが?」


カウンセリングを受けたり、

心の勉強をしたりすると

こんなことが頻繁に起こります。


自分は何ら変わったなんて

思っていないのにね^_^


でも他者にはそう映る(らしい)。


私も心理に携わる前の

私の昔を知っている人から

こんなことを

よく言われます。


「丸くなりましたね〜」

「穏やかになりましたね〜」

「優しくなりましたね〜」


とかね^_^


一時期、

そう言われるのがとても嫌で、


「そう?全然変わってへんねんけど^_^」


って返してました。


その人が思うだろう元のイメージに

敢えて合わせて振る舞うとかやったりね^_^
(尖ったり、厳しそうにしたり、)


で、

その奥底には、


お前が知らんだけで、

元々、

自分は丸いし、

自分は穏やかだし、

自分は優しかったんじゃ〜^_^

お前が知らんだけなんじゃ〜


ってのと、


何でお前に評価されなあかんねん 怒

あんたの勝手な見方の基準を

俺に押し付けるなー

どんだけ上から目線やねん!

このタコ!!

な〜んて思っていました^_^


そりゃそうです。

私をしっかりと見るなんてこともせず、

興味もなにもない人が、

自分の印象やバイアスによって

不用意に投げかける言葉が実際の

ところだから。


が、

今は、

それが肯定的なものならば、

素直に「ありがとうございます^_^」と

笑顔で返せます。

その一方で、

その、無意識に人を評価するあなたの癖が

あなた自身を苦しめることになるのにな。

なんて、少し心配をします。
(お節介なことに、
それを言うなんてことは勿論、
一切致しません^_^)


つまりはね。

よく変化変化とか、

変わりたい変わりたいとか言うけれど、

それは実は

変化じゃないのよね〜。


どちらかと言えば、


戻っているのよ。



純粋さに。


ありのままに。



自分は、

元々が、

丸かったし、

元々が、

穏やかだったし、

元々が、

優しかったし、


それを出すだけの余裕が無かったか、

あるいは、

出すことが駄目や、怖いことだと

思っていたに過ぎなかっただけ。


だから、


他者にはそうじゃないように見えていた。
(でも、しっかりと見てくれていたり、
興味を持ってくれていた人々は、
その萌芽を知っていて、だから、
そんな人々は「変わったね」なんて
言わないもの。)

又、

誰にでもそんな面を

見せる必要なんてないことだしね。



心について学んでいくと、


パカッ!と開く瞬間がある。


ありとあらゆる自分は、

そのまんまの本質的に感じる

自分そのもので良いってことに

気づく瞬間が。


他者の見え方を気にして生きることほど

しんどく辛いことはない。


だから、


カウンセリングを受けるとか

心について学ぶとかを人はする。


で、


学びの結果や学びのプロセスで

蓋が開いたから、


素直に、

ありのままで生きられる自分となった。


それが人には変化に映るだけ。


元々のその人のあらゆる面が

表出しただけに過ぎないってこと。


個人の態度や自己概念に内的変化が

起こると、対人関係の中で変化が

現れてくる。


だから、

変化とは、


あくまでも他者から見た自分。


そして、

他者から見える変化とは、
(肯定的なもの)

こう受け取れば良い。


(確実に自分は)
生きやすくなっている。


何故なら、


他者が変化と感じる程、

それだけ


自分に構えがないから。


で、

そんな経験を自らした人は

誰かの変化を感じたならば、

こう言ってあげて、


『素敵だね。』


ってね。


上から目線の評価は必要なし。

気を配ってあげましょう。

だって、

そうなれるまで、

その人は、

人知れず悩み、苦しみ、

懸命に自らと戦い頑張ったんだから。


そう。

今のあなたと同じようにね。

人はどこまで行っても 「自分自分」


だからこそ、


苦しんだ末に素敵になったあなたは、

他者に対しては、

最大限の配慮と尊重をね^_^


そうすれば、

益々あなたは素敵になりますよ。

他者の奥底に見える哀しみが

垣間見えるようになったのだから。