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mind-body unity

生き方


「心身一如」

心身同一

を私たちは常日頃、意識はしないが

何となくは分かっている。

だって、

身体は勝手に今日も機能してくれているから。

そういった意味では無意識であり、

そういった意味では同一視している。

でも、

例えば発熱等で自分で自分の身体を

コントロール出来なくなった途端に

身体に意識が向き、

たちまちまるで別個の存在のように

顕在化する。
 
そこでやっと身体というものを認識し、

自分でコントロール出来ないからこそ

コントロールしようと

これからの生活習慣や食生活の改善などに

留意しようとする。

そして、

身体と心は再びリンクし合い

一つのものになっていく。


そして、

時が経ち

知らず知らずのうちに

病気が進行していたり、

不慮の事故などでまた改めて

身体を分化したものとして見、

その幾度かの繰り返しで人生が進んでいく。


主体と、
客体から見た主体の繰り返し。


主体は主体ではなく、

客体があってこその主体。


主体は他に働きかけるものであり、

客体はその働きかけの対象といった意味。


先ほどの例では、

主体が心で、

客体が身体であり、

その身体を主体から見て同一視していく。

ほらややこしい(^o^)


身体の声を聴くなどは、

その応用とも言えるものであり、

主体が身体であり、

身体が客体である心に語りかける。

でも、

身体の語りは本当に主体と

なって語っているのか?


ひょっとしたら、


心の主体が

そう言わせているのではあるまいか?

なんてことを吟味しながら

フォーカシングというセラピーでは

確認していくのだが、

その曖昧な感覚はなかなかに難しい(^^;;


mind-body unity


心と身体は一体だ

ってのは間違いはないけれど、

身体をいつも客体化した方が、

より一体感は増す。

それは、

そこに意識を向けるかどうか?

ってことに尽きるものであり、


つまりは、


しっかりと

身体をケアして休ませてあげることにより、

それは、

心のケアと安寧にも密接に繋がることを

意味します。


分けて考え、

だからこそ、

大切にする。


パートナーシップも同じだね。

所有物じゃないってこと(^_-)


見落としがちなことです。