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プラスを求めるとプラスにならない。

生き方


僕たちは

欲しがります。

僕たちは

身につけたがります。

僕たちは

求めたがります。


もっともっと。

更に更に。


欲望や欲求は生きる為の原動力


でも、

その原動力が行き過ぎると?


日本はサービスが

とても良い国と言われます。

おもてなし

ですね^_^


でも、

その おもてなし が当たり前となっている

私たちが

海外に行くと…


サービスは受けて当たり前。
何故なら私はお客様なんだから。

お客様のニーズに応えるのが
客商売じゃないの?

えっ?こんなにサービスが悪いの?

ずっとおたくを長年ひいきにしているのよ。
以前の担当者はやってくれたじゃない。

どういうことなのよ( *`ω´)

ってなる。

つまり、

もし、そのサービスが無理難題だったなら、

サービスする側は、はじめにハッキリと

無理難題だと言わないといけないし、

出来る出来ないの一貫性を保たないと

いけない。


ところが、


でも、以前はやってくれたからとかが

もしあると、無理難題が普通となり、

もっともっととサービスを過剰に求め、

仮に担当者が本来のサービスレベルに

戻そうとしても戻すことが非常に

難しくなる。

これが、

いちサービスであればまだその範疇で

済むのだが、

世の中や、業界などでの

サービスの過当競争が起こると

当たり前がスタンダードとなる。


だから、


ウチのサービスは、

ここまでしか出来ませんといった

明確なガイドラインを提示する

ブランディングがもっともっと必要とされ、

その方がかえって、サービスを受ける側も

割り切れるから良いんじゃないの

って思われる。


サービスは、

全ての分野に生じるもので、

特に企業なり、組織なりは、

もっともっとサービスを受ける側の
(お客さん側って意味ね。)

教育をしていくっていう

カルチャーを創らないと、

益々そこに従事するスタッフや従業員は

疲弊していき、サービスレベルは

必然的に下がっていくもの。

ましてや、

担当者によるさじ加減が

まかり通れば次の担当者が苦しむことになる。

一貫性を保つといった意味合いでの

人材育成の難しさはここにあり、

また、

サービスの過当競争に慣らされてしまった

日本に住む僕たちが持つ

慣らされてしまったサービスが

当たり前といった発想を

そろそろ転換しないと結局は、


もっともっと。

更に更に。

を助長し、

結果、

プラスプラスを求め過ぎ、

プラスプラスが当たり前になった時の

怖さを身をもって知ることとなる。


つまり、


サービスレベルを過剰に

とやかく言ってしまうのは、


自分という存在がいかに大切な存在かを

認めさせようという行為でもあり、


それらは、


私たちの根本にある欲求だからこそ、

それに慣らされるとキリがなくなり、

全ての人間関係にそれを望むという

誤ったスタンダードが自分の中に

根づいてしまう危険を伴い、


その欲求が叶わないと分かった時、


悲しい事件が発生する。



それは、大概は、

名も無き弱き人に対して向けられる。



一人一人が、

自分をもっと

コントロールしないとね。



プラスは与えられるものじゃなく、

自分が自分に与えるもの。



それは、

私たちのもう一つのこんな危険な側面

にも見られるもの。



不幸自慢

苦労自慢

辛い自慢



それらを誰かと競い合っている限り、

それらを誰かに認めさせようと

躍起になっている限り、

それらをプラス材料にしているのだから、

プラスになるはずはない。

つまりは、

不幸、苦労、辛いが益々続いていく。


また、


そんな人々は、

本音の部分では


不幸のままでいい。

苦労のままでいい。

辛いのが当たり前。


とも思っている可能性も高く、

そんな場合、

私は全く共感することはなく、

共感したフリをすることによる

かえっての悪影響を考えます。

それは、

僕たちが慣らされた

前述の過剰なサービスと


まさに同じ仕組みに他ならないから。