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フロー 2

生き方




それだけの結果や実績が

自分には無いものだと

思い込んでいるから。

又は、

思い込まされているから。

は何故か?

というところからの続きです^ ^


そもそも

結果や実績って何?

って問えば、

大体が数値で表現することが多くなる。

で、

数値で表現出来ないものは、

果たして結果や実績にはならないの?


私は断固違うと思う。


確かに数値で表現出来ることも

一つです。

でも、

僕たちが誇るべきは

そんなもんじゃない。


まあ、自己開示的になりますが、

私にも、

ホント辛く厳しい時期がありました^ ^

自分で蒔いた種を自らが拾えずに、

その蒔いた種が意味を為すまで

ゆうに10年くらいは費やしました^ ^

誠にもって情けなく、

でも同時に、

誠にもって誇るべき実績だと

自負しています。


私が未だに人生のテーマにしているものの

一つに「愛」というものがあります。

以前の私は、

「愛」が欲しいことすら自覚出来ずに、

ほぼ無意識に「愛」を貪っていました。

与えてくれる愛を食い尽くし、

食い尽くしたら、又次に。

それが自分のエゴを満たすだけの

極めて、

人としてはしたない行為なんてことも

気づかずに。

このブログはフローについてですから、

それに沿って進めると、

まあ、一年位はフローが続きました。

それは、

心の苦痛を肉体を傷めることにより

緩和するって方法。

勿論、自傷行為ではありませんが、

精神的には同じこと。

当時はサラリーマンでしたから、

仕事場に行きます。

でも、

通勤の車中や、仕事場でや、

あらゆるところで、

涙が勝手に湧いてくる

ってことが頻繁にありました。

で、

その度にトイレに行くなりしながら

誤魔化し誤魔化し仕事をしていました。

心療内科に初めて行き、

薬をもらうも一向に効きません。

夜も眠れず、メシも食えず、

死のうとしても死ねず、

でも、

これすらも弱い甘えた自分の不甲斐なさと

感じ、なんとか乗り切ろう。乗り越えよう。

としていました。

どうしようもなくコントロール出来ない

自分の心。

毎朝、全力で走り、泳げない水泳を始め、

休みの日には自転車で長距離を、

そして、神戸の六甲山を優雅な登山者を

追い抜き追い越し、対向からくる人々が

声をかけてくれる「こんにちは」に

応えもせずに、黙々とタイムトライアルでも

するかのごとく、

取り憑かれたように肉体を酷使していました。

次第に痩せた身体に筋肉がつき始め、

更に追い込もうと頭を金髪にし、

気が狂ったように身体を鍛える。

そうすると、

不思議なもので、

睡眠が取れる。

何もしなかったら

寝れない。

寝れないから又酷使する。


自分から逃れる為に、

でも自分からは決して逃れられない

ってことも知っているのに。


で、

そんなことを1年くらいやったでしょうか。


ある意味、

何の幸福感も得られないフローの果てに、

得たものは、


逃げても結局は逃げ切れない

って絶望感だけでした。


所詮、

人は、


自分という人間から逃れられない。

ならば、

そんな自分を認め受け入れていくには

どうすれば良いのだろうか?

から、

心理学に入り、現在に至ります。

で、

今現在は、

幸せを感じることが出来る。


それは、

他ならぬ逃げる為のフロー状態に

長くいて、逃げられないと学んだから。


で、

つまりは、


逃げるのも、

全力で逃げなければ

結局は逃げられないってこと

自体が分からない

ってこと。


向かい合い

全てを受け入れるには、

負けないと、

負けを心の底から認めないと

人は絶対に目覚められないってこと。


だから、

自堕落でもいい。

誇れるものが今は無くてもいい。

自責の念に駆られてもいい。

自分を落としめ、否定しまくってもいい。

でも、


それを懸命にするから

見えてくるものが必ずあり、


見えてくるから目標や目的が出来、


目標や目的があるから

迷わず進むことになり、


でも、


苦しい日々があったからこそ、

意識して逃げるってことも可能となり、

目標や目的にがんじがらめになることもなく、

目標や目的を逃げる為に設定するのでもなく、


そんな自分に成長を感じる。


それが歓びであり、

それが幸せであり、

それを知っているから

もっともっと成長したいと野心が生まれる。


それが、

フローがもたらした私の幸せです。



誰しもが苦しい日々があったはず。

そして現に、

今まさに苦しみの渦中の人がいる。


例え、

世の中の人々が

それは

間違ったことだと指摘したとしても、

誰かを傷つけたり罪を犯したりの

自制があなたに働くならば、

逃げて逃げて逃げまくって、

行けるところまで行けばいい。


人には意味を後付け出来る能力があり、

その渦中(フロー)には例え分からなくても、

渦中がフローであるならば、

必ず良い後付けしかしないもの。


それが僕らの生存本能であり、


醜いエゴでもあるけれど、


それすらも自覚出来得た時に、


初めて、

人間というものを理解出来た

気がする。

って、

私は感じます。


そして、

さすれば、


僕たちの中から審判という傲慢が消え、

善悪の判定を自らが下すという

おこがましさが消えていく。


それが、

私が感じる最上の幸せ

「許し」からの発展形。
(許しはまだ審判)


『存在』


あくまでも私見です。

ご参考まで。