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ココロテラス:心理カウンセリング・キャリアコンサルティング大阪梅田[どん詰まり]


どん詰まり。


ヤな言葉ですね。


追い詰められて切羽詰り、

これ以上に底はないって状態でしょうか。


どん詰まるにはそこに至る過程があって、

どん詰まるべくしてどん詰まったか、

あるいは、

どん詰まることなど露知らず

気がついたら

どん詰まっていたとか、

まあ様々などん詰まりが人生には

あるものです。

例えば、

晴天の霹靂

みたいな時、

人はそんな我が身を呪います。


そして、


何故自分が?

どうして私なの?

私だけが何故に?


天を恨むかもしれないし、

他者を憎むかもしれないし、

時代の趨勢のせいだと

放り出し、諦めるかもしれないし、

最後まで

諦めないと精一杯に足掻くかもしれない。


色んな反応があるでしょう。


でも、

これはあくまでも私の見解ですが、


底はまだまだ先にあると信じて臨むこと。

生命までは取られないと強く思うこと。


この二点に尽きます。


先がまだまだと思えれば、

その先に行きつく前に打つ手を探す間と

少しの冷静さを持つことが出来得るし、

その先が良化しようが、

更に悪化しようが、

その結果のいかんに想いを馳せるのではなく、

今置かれている状況を淡々と見つめることが

大切であり、

その時間を確保出来る

ということであるから。


何故なら、

その時間こそがとても大事であるから。


仮に、


今が底だと思ってしまった瞬間に

人は全ての活動を止めてしまう。

全ての活動を止めた瞬間に、

底は底としての役割ではなく、

乗り越えられなかった

大きな負い目となって、

我が身に刻まれてしまう。


こいつが一番怖いもの。


ひとたび我が身に刻まれてしまうと、

その刻まれた乗り越えられなかった記憶が

事あるごとに呼び覚まされ、

その枠内から抜け出ることが

とても困難となる。

つまり、

生きる範囲や範疇が狭くなってしまう。


それは、

丁度、


まだ私たちが少年、少女時代に経験した

無力な自分の心に巣喰った忌まわしき

劣等感のようなものによく似ていて、

それらが大人になった自分に色濃く影響して

いるのを感じるのと同じで、

その無力な自分に対する劣等感により、

無意識に自分に限界設定を

してしまっているってことが

いわゆる




(自分の枠)


であり、


それは、


少年、少女だったから、


って理由づけで

ある意味の理屈づけは出来るのだが、

前述の

大人になってからの乗り越えられなかった

記憶の反芻は、


大人な故に、


今後の人生を最終的に決定づけてしまう

可能性がとても大きいものとなり得る。

(皆んな、自分は大人だって、自分なりの


大人という曖昧な定義もないままに
 

生きているってこともとても問題。)


だから、


どん詰まった

ってことは、


生命までは取られないという

誰もが有する

最大最強のバックボーンを背景に、

ある意味の

人生を賭けた

闘いに挑めるチャンスだと見据え、


そのどん詰まりを味方につける


ことの出来る私という人間を、

幸運とまでは言わないが、

少なくとも

不幸

とまでは言い切れないという

自分の素晴らしさに気づけるものであり、


それこそが、


自分を俯瞰し、

底がまだ底ではないと

本気で思えるからこそ

これからの未来に向けて進んでいける

大きな糧となる。


大概の人は、


底を底として捉えてしまい、


その底に自分の人生を決定づけられ、

決定づけられたからこそ、

狭い人生を送らなければならなくなる。


底は底じゃない。


底の底はまだ先にある。

(ホントは底なんてないんだけどね^ ^

何故なら、

底は今の自分だから

底として認識せざるを得ないものに

多分過ぎないものだから。)


励ましでもなく、

慰めでもなく、

ましてや、

気安めでもありませんが、


どん詰まり


なんて怖くない。


でも、


ただ怖いのは、


どん詰まり


だと自身が定義し、

自身に自身が負けてしまうこと。


人生を狂わしかねない

どん詰まり

というものの位置づけ。


もし、

どん詰まってらっしゃる方が

今いらっしゃったなら、


どうぞ、

負けないで。


どうか、

諦めないで。


そこが決して絶対的に、

底ではないはずなのだから。

(でも、

無理しすぎないように慎重に

進んでくださいね。

無理しすぎたら、

負けちゃう可能性が高まってしまうから。)


ご参考まで。