それはあなたの問題であって、私の問題ではありません。

例えば、
誰かに非難されたり批判されたり
することが私たちにはある。
勿論、
非難されたり批判されたりを
その人からされる要因が、
自分自身にあると
自分自身がはっきりと認識しているなら
それはキチンと受け入れれば良い。
キチンと受け入れた上で、
真摯に反省をし、率直に謝罪をし、
非難、批判している相手に対して、
誠意を尽くす必要がある。
ただ、
それを行うのは、
非難されたり批判されたりを
その人からされる要因を
自分自身がはっきりと認識しているか
どうかを自分自身が見極めることを
自分自身に課す必要がある。
世の中には、
理不尽に非難、批判をする人たちが
一定数いて、
例えば、職場の上司であるとか、
例えば、取引先であるとか、
例えば、お店のお客様とか、

例えば、見ず知らずの人であるとか、

(こちらは知らないが、相手は知っている。)
ある意味の力関係が明確な場合には、
便宜的にその関係を維持するが為に、
その非難や批判を甘んじて
受け入れたフリをしないといけない
ということもあるかもしれない。
(危機管理コンサルタントなどは
このあたりの人間心理を熟知していて、
どう謝罪すれば、誠意が伝わるか等を
会見に臨む政治家や著名人等へ
コンサルティングをしている。)
確かに、
非難、批判をされるということは、
一定、何らかの相手に対する
相手がそうせざるを得ない要因が
自分自身にあるかも知れなく、
そこは、キチンと理解すべく

自身の振り返りが必要である。

そして、キチンと理解した上で、
その部分を謝罪すれば良いのだが、
(その部分というのは、自分から相手に
明確に、こうこうこういうことをして、
こうこうこういう思いをさせてしまい
誠に申し訳ありません。今後は
こうこうこういうところに
気をつけますので、
どうぞ、

今回はお許しください。といった

相手にどういう思いをさせたか等を
より具体的に述べることにより、
相手は自分の非難や批判が真に伝わった
つまりは、
自分の言いたいことを相手が理解したと
捉え、その満足が、自身の非難、批判の
気持ちを上回った時に許しの感情となる。
※許せなくとも、謝罪の受け入れ態勢が
相手に出来得る。)
上辺の謝罪では、

相手の気持ちをおもんばかるのではなく、

事実や自身の行動面だけの謝罪等に終始し、

全く誠意の伝わらないものと

なることが多く、

だから、

クレームであれば、

二次クレームであるとか、

ネット等で言われる炎上などにも

繋がっていく。

つまりは、

相手の気持ちをいかにおもんばかるかが

ポイントであるように思える。

自分の心の中に、相手の心の世界を投影し、

あたかも相手の世界の中にいるように

自身が感じながら、

自分の中に存在する同じ痛みや不快感等を

感じれる部分を探索し、

覚知するプロセス=共感力が必要である。

ただここで、

覚えておかないといけないことは、

相手の全てを受け入れて

自らが背負い込むことが謝罪では

ないということ。

この部分は確かに悪かったし、

申し訳なく思うというのは必要だが、

そのせいで不幸にしてしまったであるとか、

そのせいで人生を狂わせたであるとかを

背負いながら贖罪の人生を

自分が歩むというのは、

ある意味では犯罪者の人々には

必要なことであるかも知れないが、

私たちの日常においては、それは不遜だし、

相手に対しての失礼でもあり、

自分に対しての甘えでもある。

 

それは相手の問題であって、

あなたの問題ではない。

 

これは、

上述のような場合にも言えることだし、

例えば、

全くこちらに非がなくとも、

否定、批判、非難する人が

一定数いると前述したように、

そんな人のその人が抱える問題を

自らが背負う必要は全く無く、

背負うことは不遜な態度である。

つまり、

相手の問題や課題は

相手の問題や課題であって、

なんびとたりとも

奪ってはならないということ。

又そして、

自分自身が背負い込んでいい気になることも

避けなければならない。

ついつい人は、

背負い込んだ自分を偉いとでも

いうような生き方をしてしまう。

私は、全てを引き受ける

良い人間だと思いたいばかりに

それを活用してしまい、結果的に、

自らが自らの狭い領域で生きることにより、

画一的な思い込みの世界という狭い範疇で

のほほんと生きることを強化してしまう。

得てしてそういう人の口癖は、

どうせ私なんか

であるとか、

所詮私程度では

であるとか、

とても生き辛くて悲しい

であるとか・・・

を発し、

いやいやそんなことはないですよ

をいつも他者に言われる機会を

うかがうようになり、

そんな風になった理由を、

○○して相手を不快にさせたから

や、

○○したことにより相手に迷惑をかけたから

などに結びつける。

 

本当に悪いことをしたと

思っていない証でもある。

本当に反省をしているとは

思っていない証でもある。

 

自分の課題は自分の課題。

自分の問題は自分の問題。

 

同じく、

 

相手の課題はその人の課題。

相手の問題はその人の問題。

 

他者を不快にさせたり迷惑をかけたりは、

その部分だけに対して責任を持ちましょう。

それ以外を過度に自身に背負わすのは、

甘えであり、逃げでもあります。

又、

自分に非がない否定や批判や非難やらは

真に受けず、

(関係性上、謝罪等をしたとしても)

 

それは相手の問題であって

自分の問題ではない

 

と課題の分離を常に意識し、

スルースキルを身につけましょう。

 

私たち人間は、

何らかの責任を負うという意識を

持たないと生きるという行為に張り合いが

持てない生き物です。

でも、その張り合いを持つが為に、

他者を活用することは止めた方が良い。

 

それは、

誰かに傷つけられたから

って生きることと実質同じで、

狭い自分の世界の中で生きる口実として

使っている巧妙な自分自身のトリックです。

 

私たちは、

私たち自身がより良く生きるという

責任を果たす為に生きています。

ただその為だけに生きればよい。

 

無用に他者を巻き込まないで。

 

課題の分離をいつも意識してください。