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自分とは

自分とは?

 

私たちはいつも自分自身は何者か?

を自分自身に問いかける。

私たちには

いくつもの自分がいて、

決して一つの自分だけが

自分だと思わない方が良い。

 

人は、

人との関係性においてのみ

自分自身を認識することが出来るので、

それは、

他者との関係性によって影響される

様々な自分をもって自分とすることが、

自分とは?

に対する答えの最適解となろう。

つまりは、

素敵な自分や素晴らしい自分、

嫌な自分、ダサい自分、狡い自分など

様々な自分という一つに絞れない自分を

潔く認めていくことを意味する。

で、

更に言うと、

今、自身が持っている自分という

(大体自分だというもの)が

本当の自分だと思わずに

生きていくのが最も生きやすいと

思われる。

何故生きやすいかというと、

自分という自分に縛られないから。

人は、

(大体の)自分というものを後生大事に抱え、

その抱えた自分の範疇(枠組み)を超えると

戸惑い苦悩し殻にこもる。

そして、

殻にこもりレッテルを貼り

益々、(大体の)自分というものを強化する。

 

自分なんてものは

 

無いのである。

 

と常に思考する。

 

それは、

 

自分を護る為に

自分を捨てる。

 

を指針として生きることとも言え、

よくよく考えると、

私たちのこの身体(器)には

何兆、何京の細胞やウィルスがいて

一つの宇宙となっており、共生している。

そして、

その一つ一つが私(と思われるもの)

を形創っている。

それは他者も同じであり、

有機体全てについて言える。

 

その有機体の中で、

私たち人間というものの

脳は極度に発達し、

言わば、

自己防衛(自身の細胞、ウィルスを護る)

をするが為、

健気なトリックを巧みに仕掛け、

自分と他者という概念を内部に創り上げた

と考えてみると、合点がいく。

 

自分なんて無いのである。

 

無ければ困るから在るのである。

 

そんなトリックを愛おしく愛し、

そのシステムを分かった前提で生きてみる。

 

全体の一部に過ぎない

自分というまやかし

 

一部であって全部ではなく

全部であって一部でもない。

 

宇宙、万物、自然、魂、神

 

言い方は何でも良いだろうが、

それが自分というものの正体。

(それすらも、自分と呼ばれるのものが

創り出している存在なんだろう。)

 

自分探しの世の中が

極度に疲弊していくのは必然だね。

 

自分と言った瞬間に私たちは

他者という存在を創り出し、

そのトリックに弄ばれる。

 

だから、

 

自分なんてない

 

を生きる。

 

ご参考まで。