課題や問題にぶち当たると、
人は誰しも
その課題なり問題なりを
解決、解消しようといたします。
そして、
その方法をまずは考えます。
どうしよう?
どのようにして?
どこから手をつける?
どこまで行う?
どんなペースで?
どんな具合に?
どんな風に?
どの程度?
で、
対処法を探しまわったり、
サポート資源を探し活用したり、
過去の課題なり問題なりを
解決、解消した自身の対処法に倣ったり、
その成功体験や遂行経験を活かしたり、
様々工夫を凝らします。
そう。
大体が自分で解決、解消出来るのです。
逆に言うと、
あらゆるこの世の大概の問題は、
自分自身で解決、解消出来る。
と思っておいた方が良い。
そして、
その解決策や解消策は
多様に存在していると
知って欲しい。
それは、
起こった出来事や事実こそ、
変えることは不可能かもしれないが、
その出来事なり事実なりに対する
捉え方や感じ方を変えることにより
様々な対処法があるってこと。
もっと細かく言えば、
出来事や事実そのものから受ける
自身に対する影響に対する
自身の捉え方や感じ方を変えると、
自身の取るべき行動が変わるってこと。
解決法や解決法ってのの
ほとんどは、
やるかやらないかです。
世の中にはありとあらゆる
その方法が網羅されていて、
その課題なり問題なりの
当事者の人々も
その課題なり問題なりの壁が
初めての体験や経験で
あったとしても、
過去に必ず近しいものとして
乗り越えてきている。
だから、
今があり、
今、生きている。
生き延びてきている。
つまりは、
その過去の乗り越えた体験なり経験なり
を応用するなり活かせば良い。
でも、
それが出来ない。分からない。
だから、
悩む。
何故?
1つは、
事実や出来事そのものを
変えようとするから。
そいつらに惑わされている。
(変えられるものなら悩みはしない)
これは例えば、
対人関係において、
他者を変えようとするってことも一つ。
(他者との相関関係で出来事や事実は
生じるもの。そして、他者を変えようと
するからこそ、そこに無理が生じ、
負荷となり、悩みとなる。)
そして、
もう一つは、
その課題なり問題なりを
本当に、本心から
解決、解消しようと
思っていない。
もしくは、
その動機づけが弱い。
(動機づけってのも
本当に、本心からってのの
範疇に入ります。)
それは例えば、
そんな課題や問題を
本心から解決、解消をしようと
しない自分を誰よりも
自分が知っていて、
そんな自分が情けないや
許せないや愛せないとなり、
それが悩みとなる。
だから、
様々な出来事や事実そのものの
解決法や解消法に手を出すも、
その通りには出来ないので
又、再び悩みの渦中に取り込まれ、
その過程を繰り返していく。
(その、手を出すことそのものが
その人にとっては意味のあるものであり、
例え、出来事や事実が変わらなくとも、
その影響下からの捉え方や感じ方が
変われば、それが、その人にとっての
解決法や解消法ということになろう。)
つまりは、
覚悟や決意不足
ってことが見えてくるのだが、
それは、
自分自身が自分の内側から
起こり、湧き出してくるのを
信じて、ひたすら待つしかなく、
他者に首に縄をつけられて
引っ張られても、絶対に生じないもの。
(ある種のエンパワーメント)
で、
それまでの(湧き出してくるまでの)
モヤモヤした時に、
あらゆるサポート資源を活用し、
そのいつ湧き出してくるかもしれない
自身の心の奥の奥の泉に
いつもいつも水を注ぎこんでやる
ってことも、それはそれでとても有効。
(裏返せば、その程度!!
その程度のものだって認識がとても大切。
でないと、依存や盲信や失望や失意となり、
二次的な悩みや、
悩みの本質そのものが強化されてしまう。
そう。その程度のものだって断言しよう。)
だから、
やっとここで ^^
タイトル 『答えは自分の中に』
が活きてくる。
全ての答えは自分の中にある。
そう潔く思考できるか?
そして、待てるのか?
ここに課題なり問題なりを
解決、解消出来るかの全てがかかっている。
注)
あくまでも
正常で健康な思考性を持っている場合
に限ります。
(ここで言う正常ってのは、心理学上のものです。)
ココロテラス
津村健司