· 

怒りの考察

生き方


脳は二つのことを同時に考えられません。

一つのことを考え続けると

外界の情報を取り込んで

有機的にその思考を正当化しようと

結びつけていきます。


例えば、

何か怒りを抱えていて、

ずっとその思考が続く時、

自分では意識しなくとも

ちょっとしたことで超キレたりする。

その典型が、

八つ当たり^_^

八つ当たりされた方はたまったもんじゃない。

又その八つ当たりの大概は、

自分より力の弱いと思われる弱者や、

絶対に反抗されない職責の人や体制に

向けられることが殆どです。


当たる本人も、

自分が何故そこまでキレるか分からない

ってことも ままある話。

燻った怒りの根源を突き止めて

自らが変えていかないとね。


私たちは、

一つのことに拘り過ぎる

ってことを自らがよく理解しておくことが

どうやら肝要なようです。

だから私はよくお伝えします。

怒りはその人の自分勝手な問題で、

勝手に怒ってはるだけ。

勿論、何かミスをしたり

その人に対して迷惑をかけたと自らが思えば

素直に謝ればいい。

でも、

それが理不尽な場合であれば、

サラリと受け流すってことがとても大切です。

何故なら、

その怒りの根源的な問題は、

自分自身の問題ではないから。

人の問題を自分が

わざわざ背負い込むことはない。

近しい人間。

つまり、

家族であってもそれは同様です。

家族だからという安心感、

言葉を変えれば 甘え が

人格否定とも取れる怒りを助長したりもする。

実年齢と精神年齢は違います。

大人でも幼稚な精神年齢の人もいれば、

子どもでも発達した精神年齢の人もいる。

幼稚な精神年齢の大人がそれほどまでに

嫌ならば、

幼稚な精神年齢の大人にならないように

自らが気をつける。

つまり、

誰かに怒りを向けられたなら、

その受け流し方を学ぶチャンスと捉え、

そのマイナスの浴びせられたエネルギーを

自らのプラスのエネルギーに変換する。

変換するべく内省するエネルギーこそが

精神の発達を生むと私は思います。

人は、

自分がされたら嫌なことを人にはしないもの。
(勿論、様々な人がいますが^ ^)

その原理原則が分かっている人々は、

そうして自らを高めている。

怒りに怒りを返す必要もない。

怒りに怒りを返すことが必要なのは、

唯一、

自分が本当に大切に思っている人

だけでよし^ ^

お互いの成長を願うなら、

大いに怒ればよい。


怒りは目的論。

つまりは、

目的があるからこそ

怒りを活用している。

だから、

お互いに大切だと思う人との交流で、

お互いの成長を願うなら、

その目的に沿って怒ればいい。

それは、

極めて理性的な怒りだから、

アホみたいな過度の怒りとはならないもので、

そんな怒りはお互いに、

受け止めることも十二分に可能なものです。


だからこそ、

アホみたいな過度の怒りに

振り回されないで。

それは、

繰り返しますが、

あなたの問題ではないのだから。

どーでもいい相手なら

尚更のこと。

そんなことで自分の貴重な人生の時間を

止められることほど

勿体ない話はないからです。

歩を少しずつ進めましょうよ^ ^