ココロテラス:心理カウンセリング・キャリアコンサルティング大阪梅田[幸せのレシピ]

生き方


「幸せのレシピ」


なんかこんなような映画が

ありましたっけ^_^

幸せの定義って

人それぞれなので

一概にはどうこう言えませんし、

私は

普通に暮らすのが幸せだと感じていますが、

その普通ってのも

年齢によって変わってくるでしょうし、

環境によっても変わってくるでしょうし、

なかなか難しくもありますね。

基本、

普通の暮らしって

イコール平和で穏やかな暮らし

っていうのが最も適切な表現でしょうか。

でも、

平和な暮らしが続くと

僕たちは

スパイスが欲しくなってくる

という矛盾が生じる。

スパイスが欲しいから

平和な暮らしをぶっ壊してまで

スパイスが欲しいという

言わば欲望の世界に無意識に舵をきる。


他者は言う。

「そんな平和で穏やかな暮らしなのに

何でそんないらんことするの?

これまでのように

普通にしときゃいいのに〜」なんてね。

でも本人は普通とは思えていない。

平和で穏やかとも決して思えていない。

つまり、

僕たちの多くは

いかに、

普通とか平和で穏やかとかって感覚が

乏しいかってことであり、

スパイスを求めるのは

普通とか平和で穏やかとかを

探す為のもので、

そこに行き着く過程が必要だと

思っているということ。

つまり、

本来は、

心の持ち方一つで

普通とか平和で穏やかとかを

今すぐ感じることも

僕らは十二分に可能なのに、

その事を知ってはいるんだけど、

感じるのが嫌なのか、

はたまた そこに甘んじるのが嫌なのか、

僕らはスパイスを求めてしまう。

何故か?


その理由は、


私は特別な存在だって思っているから。


これがあるうちは

人生が全般的にシンドイと思います。

多分、

スパイスを求め続け

力尽きた時にやっと気づくでしょう^_^

それはそれで大切な

プロセスだとも思いますが。


で、

ここからはあくまでも私の概念です。


私の替えなど世の中にはゴマンといて、

私の知識や能力などたかがしれている。

私の出来ることなど誰にでも出来る。

って

自信を失くすって意味じゃなく、

ただただ現実を認めて生きる。

だって、大概そうなんだから。

で、

その上で、

多分、

私の替えは世の中にはいなくて、

私の知識や能力を超える人は

とてもとても限られていて、

私の出来ることをやれるならやってみろ^_^

って仮定を持ちながらも生きる。


するとどうなるか?


そう。

行動が伴う。

で、

前提が、

私の替えなど世の中にはゴマンといる

のだから、

背伸びしたり、

比較したりってことがなくなる。

でも、

替えがいないって仮定でも生きるのだから、

それはスパイスではなく、

より現実味を帯びたチャレンジという

行動となり、

結果、

背伸びや無理や他者比較がないのだから、

普通や平和で穏やかな暮らし

というものが体感出来る。


バランス感覚を養うってこと。


つまりは、

普通や平和で穏やかな暮らしが

欲しいのなら、


行動しない限りは得られないし、

行動しない限りは維持し続けられない

ってこと。

その行動ってのは、

自らの「感覚」

つまり、

「感じ」に従うってことで、

それは、

「直感」と言い換えてもよく、


自分の喜びの為に行ってみたい


自分の喜びの為にしてみたい


自分の喜びの為に会ってみたい

に従っていく。


「感じ」が思考上の知性より勝り、

「感じ」から得られる「知性」が

有機的体験として人生を形創る。

確か

ロジャーズかジェンドリンが

このような事を言ってました^_^

プランドハップンドセオリーの
(計画された偶発性)

クランボルツや

肯定的不確実性のジェラッドも

同じような事を言っています。


喜ばしい体験から得られた
(厳密には喜ばしくない体験も
怖れがなくなるという喜びも得られる。)

自ら固有の知性の積み重ねそのものが

揺るぎない幸せを運び、

揺るぎない普通をもたらし、

揺るぎない平和で穏やか暮らしを

もたらします。


それこそが、

「幸せ脳」を創造するとも

言えるものであり、

その「幸せ脳」を構築出来れば

人生は「幸せ」しかあり得ないってこと^_^

そして、

「脳」はホメオスタシスを持っていて、

可塑性も持っているって特徴がある。


先ず、

自分の現実を認め、

過程の(理想の)自分を探す為に行動する。

その行動は、

失敗することもあるだろうけど

「感じた」ままに行動する自分を

全てにおける絶対的な自信の源泉とする。

果てなき知的好奇心を持ち、

その知的好奇心が自らの「幸せ脳」に

直結することを信じる。

それは脳の可塑性に合致し、

合致したものはホメオスタシスによって

維持される。


幸せになるには、

レシピが必要であり、

そのレシピは

極めて流動的ってことですね。


年齢、環境など様々な要素の中で、

僕たちは

幸せのレシピをいつも変化させたい

ものですね^_^

先ずは、


私は特別な存在ではない。


ってことから始めることが

幸せへの近道だと

私はつくづく思うのです。

特別な存在じゃないって、

嘘じゃなく、本当に思えるかどうか。

これが幸せかどうかの分岐点になると

強く思います^_^