生き方
僕たちは生まれる際に神様とコミットして
この世に再び現れた。
そのコミットメントとは、
自らの魂を更に磨くための「苦」に挑むこと。
その「苦」の筋書きは、神様とお話済みの
自らが創作したストーリー。
自らが決め、自らが創作したものだから、
どんな苦難も
乗り越えられない訳がなく
その道のりによって魂は更に輝きを増す
というもの。
つまり、
苦は苦ではないっていうこと。
スピリチュアルな分野では
盛んによく言われることです。
それが事実かどうかは私には分かりません。
又、
生き死にに関わるくらいの苦しみの渦中の方に
安易に
そんな内容を語るというのもはばかられます。
でも、
この発想は、
現実を受け入れ、直面し、対決し、
勇気を持って、
様々な試行錯誤をしながら
苦難にあたる
という点においては採用するに値する
発想法の一つだと思えますし、
乗り越えた先には必ず私達の成長がある
ということは
どうやら間違いのないことのようです。
心理学は科学という定義である限りは
エビデンスが伴わないものはオカルトと
嘲笑もされるし、民衆や、
エビデンスこそ明らかに示すことは
出来ないけれど、確かに私は神秘体験を
経験したという当事者達の支持を、
多数受ければ、受けるほどに
既得権益からの猛烈な
バッシングも受けることにもなります。
でも、
心理学の著名と言われる先人たちも
最後はスピリチュアルに行き着きました。
キューブラーロスも然り、ユングも然り、
マズローも然り、ロジャーズでさえも然り。
先人達の中には、
臨死体験とか前世とか集合的無意識とか
シンクロニシティとか
曼荼羅の世界観であるとかを
少しでも科学的に実証しようと
統計法や観察法や実験法を駆使して
試みた人々がいたことも事実ですし、
哲学的な概念や精神論と揶揄されて
終わった人々が多かったことも
周知の事実です。
周知の事実であり、
解明されていないからこそ
科学ではないとされている。
でも、
科学的ではないけれど
妻の臨死体験に際し、
何かあると感じ、
トランスパーソナル心理学の
第3の目で著名なK.ウィルバーの論文から
晩年のロジャーズが大いに触発され
傾倒していったこともこれ又事実です。
アインシュタインが100年も前に唱えた
一般相対性理論の一部が初めて、
ブラックホールとして可視化される時代。
ブラックホールを更に研究することにより
ビッグバーンが実証され、
私達人類の生誕の謎が解き明かされるまで
それは来年か、はたまた100年後かも
知れません。
でも、きっと結論まで行き着くことのように
私には思えます。
同様に、
死後の世界や輪廻転生や神の存在が、
オカルトではなく事実として
実証されたらどうでしょう?
この世は仮想現実で、
魂は永遠であり、
現実だと私達が感じている世界は
自我が創造しているに過ぎない
魂を磨く為の世界だとしたら?
私は、
未だ8割がた
心は脳にある派
ですが、
心と魂は明らかに違うものであり、
魂というやつはやっぱりあって、
その魂というやつは、
森羅万象と融合した大きな存在であり、
その存在のピースである魂のカケラ自身が
私達が私達である所以だと思っている
自我を創造して仮想現実を経験させている
のだけれど、
その実は、私が私と思っているのは
自我のせいであり、その自我も大きな存在が
創り出しているものだから、
私は私ではなく、
全ての生きとし生けるものは
イコール私自身ということになり、
結論づけるとすれば、
その大きな存在こそ神であり、
私達は神と同根ってこととなる。
(キリスト教は一神教であり、
神様はイエス様だけですから
この考えは、森羅万象に宿る神を司る
日本独特のものなのかも知れません。)
そう捉えてみるとどうでしょう?
勇気が湧いてきませんか?
活力がみなぎってきませんか?
恐怖が消失していきませんか?
明日を生きようと思えませんか?
「苦」を愉しもうと思いませんか?
そして、
ならば、
どうせなら、
そんな自分を愛してやれ!
って思えないですか?
私達が神自身ならば、
もしくは、
神に近い存在であるならば、
もしくは、
魂
って存在が私達そのものならば、
「苦」は「苦」とはならない。
ゲームを私はやりませんが
何となくで言えば、
任天堂が神様で、
スーパーマリオがこの世の自我で、
プレイヤーは魂。
スーパーマリオを自分自身だと思って
皆んな生きてはいるが、
実は、
プレイヤーが本当の自分で、
そのプレイヤーさえも自分自身ではなく、
そもそも自分自身なんてものも
相対の中では存在すらなく、
任天堂と一体か、あるいは近い存在か、
あるいは一部か。
ってこと。
だから、
私は逢う人逢う人にこう言います。
私の幸せはあなたの幸せです。
そして、
あなたの幸せは私の幸せです。
更に言えば、
私が幸せならばあなたは幸せです。
あなたが幸せならば私は幸せです。
これが愛である。
って、
現段階の私のレベルは
少なくともそう言っています^_^
どちらか一方は無いってことでね。