ココロテラス:心理カウンセリング・キャリアコンサルティング大阪梅田 [不快]

生き方


不快なもんは


不快!


って言った方が良い。
(不愉快もある意味同じ)


それは、

誰に対してもね。


そりゃあ、

社会生活を営むうえで、

許容範囲みたいなものもあるから


すぐに思うままに!


ってわけにはいかないでしょう。


でも、

ある程度の関係性があって、

(例えば会社の上司だとしても)

あなたのことをしっかりと

理解して欲しいとあなたが思うのなら、

言わなけゃ相手には伝わらない。


だって、

伝わっているのなら、

あなたが不快や不愉快を感じさせるはずは

ないのだから。


人間関係を構築するには

リスクも時には必要で、

もし、

上司なりに「不快です!」って言った瞬間に

干される覚悟も必要になるかもしれません。

でも、

それも上司の為

と思ってみると少し言い方も変わるかも。

つまり、

上司は上司で表現の仕方が分からない

可能性もあるかもしれないし、

敢えて、不快や不愉快なことをあなたにして

何かを表現したいのかもしれないし、

まあ、

相手(人)のことがあまり分からない人って

可能性もある。

でも、

上司となっている。

つまり、

ポジションがあるってこと。


何故そのポジションに

そんな人がついたのか?

をわざわざ考える必要もないですが、


上司には上司の役割ってやつがある。


その役割の一番は、

部下の育成責任。


つまり、

その責任を全うさせてあげる意味でも、

不快なことは不快と言った方が良い

ってこと。

上司の為にもね。


で、

そこで、上司のその意味合いを聞き、

反省する点があれば反省すれば良い。


上司だから、

言えないは、ある意味の仕事放棄だと

捉えてみるってことも必要です。


視座を変えてみるってこと。


あなたのおかげで、

もっと素晴らしい上司になることも

あるかもしれないし、

上司の為にも言ってあげるという姿勢を

持った時、

あなたの抱えるストレスが軽減されると共に

そう相手がしてきた意味が
(意図があるにせよないにせよ)

そこで初めて明確となる。


他者との関係とはそういうもの。


不快や不愉快を抱えたまま生きることは、

切れる関係なら切ってしまえば

それで終わらすことが出来る。


でも、

なかなか切れない関係ならば、


視座を変え、

自分の為と相手の為を考えてみる。


ついつい人は、

抱えてしまい

抱えてしまう苦しさから


坊主憎けりゃ袈裟まで憎い
(お坊さんすいません(><))


となり

刹那的な感情の発露により、

取り返しのきかない事態となったりもする。


不快や不愉快を発することは、

悪いことばかりではありません。


相手の学びともなり得るし、

それを学びとしないなら、

それは相手の責任であり、

あなたのせいではありません。


私はそれが人の優しさだと思いますし、

優しさには勇気もつきものだと感じます。


だって、

相手にすれば、

あなたが不快で不愉快だから

そんなことをしているのかもしれないしね。


だから、

明確にして、

自身の学びの為にも、


グツグツ煮えたぎる前に、


キチンと発する。


それが、

自分に対しての優しさでもあります。


ご参考まで。


※距離を開けるという観点から見ると
こちらもご参考まで。

アメーバブログ 「嫌なことは嫌と言う。」