ココロテラス:心理カウンセリング・キャリアコンサルティング[無理の活用法]

生き方


無理は禁物。


そう、

無理は禁物です。


無理とは、道理が無いと書く。

つまりは、


そこに理を欠いているということ。


その理とは、


多分、自分の信念なり価値観なり道徳であり、


その理を全うしようとするから

人は無理をしようとする。


でも、


ひょっとして、

その信念なり価値観なり道徳なりが、

自分には

そぐわないものだったとしたならば?


まさに、


そこに理は無いということであり、


正真正銘


無理をしているということになる。


なかなか人は、


自分の信念なり価値観なり道徳なり

を捨てられないし変えれない。


何故なら、


無意識にせよ、意識的にせよ、

そこに依拠して生きているから。


だから、


ついつい無理をすれば

その自分を肯定出来、

その自分を確認することが出来るという

思い込みがあるから。


ただね。


勿論、

私もそういう自分なりの

信念や価値観や道徳やらがあり、

それらを全うせんが為に

無理をしている時がある。


でも、


そんな時ほど報われることは少ないという

事実にも気づいています。


それは、


そこに理が無いことを分かっているけれど、

信念や価値観や道徳があるが故に

ということに、

もう既に気づいていて、


気づいているのだけれど、


変化することの怖さや億劫さや、

プライド的なものやらが邪魔をして、

理が無いにも関わらず、


無理をしているから、


いつか

その無理は報われるかもしれないなんて、

何の根拠もない

甘い考えで時を過ごしていたりもする。


理が無いことが


無理


ならば、


本来であれば、

その理を変える方が先決なはずなのに、


人は、


ある意味の


力技


で、

無理を承知で無理をする。


だから
きっと、


本当は、


信念なり、価値観なり、道徳なりを

極限まで薄めた方が人は楽だろう。


しかしながら、


薄め過ぎるとベースが不安定となるから、

フラフラとして不安感に陥るだろう。


だから
だからこそ、


自分が無理をしている

って時は、

自分の中に何か誤りがあるってことを

表しているのは明確であり、

それを素直に認め、


ということは、


自分の信念、価値観、道徳なりを

見直し、点検しながら、

それらを薄めつつ、


新たな視点から得られるものを


積極的に多様に柔軟に


自分の中に入れ込んでみて、

そこに

無理がないかどうかを感じていく。


つまりはね。


やっぱり、


自分はまだまだだって思えるかどうか?


又そして、


まだまだだから、

ってことを前提とすると、

まだまだだから仕方がない

に人は逃げてしまいがちとなるので、


まだまだは嫌だ。


だから、


柔軟に多様に様々な経験から

素直に積極的に真摯に何でも学んでいこう

って前向きに捉えていく自分を創っていく

ってこと。


それこそが、


自分の信念なり、価値観なり、道徳なりに

縛られない最も幸せな生き方だってね。


私は心から感じます。


自分を苦しませているのは、

他ならぬ自分という存在。

自分を楽しますのも、


そう。


他ならぬ自分という存在。


無理は禁物

されど、

無理に気づき、理の無さに気づき、

自分の理を修正していく機会。


それが、

無理の活用法。


ご参考まで。