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罪悪感

長年のわだかまりやこだわりを

なかなかクリア出来ない

なんてことが

人にはあります。

 

例えば昔々に、

 

「あー、そう言えば、

○○さんに悪いことしちゃったよな~」

とか、

「あー、

思い返してみると、

○○君にあの時

大変な迷惑かけちゃったよな~」

 

でも、謝罪も何もしていないよな~

なんてやつ。

 

そんな時、

人は自分自身に罪悪感を覚えます。

自分以外の他者に対して

申し訳ない気持ちがシンプルに湧き、

私は他者に悪いことをするような

人間ではないはずなのに

悪いことをしてしまった

や、

他者には迷惑かけるべきではないと

分かっているはずなのに

迷惑をかけてしまった

などという自責に苛まれることから

罪悪感は生まれてきますが、

 

それは言わば、

 

自責感をカバーする為に

罪悪感で防衛機制をしている

ってことが本質。

 

ここに気づけると、

 

遅くはありません。

今からでも、

素直に謝ることが出来得ます。

 

その謝罪とは、

 

先ずは、その他者に対して。

それと、

自分に対して。

 

つまりは、

 

自分も含めた人間に対して

素直に謝ることにより、

(罪悪感や、背景にある自責感から)

解放される

自分を創造出来るっていう

付加価値が生じるってこと。

 

それって、

本当に、相手に対する謝罪なの?

 

っていうと、

本当の意味での

相手への謝罪ではないかもしれない。

(そもそも、本当の意味の謝罪とは、

相手の立場に立ってというものだが、

相手の立場を自分自身は自分の範疇でしか

思い描けない為、真に相手の立場になる

ということは、

現実的にはとても難しいもの。

だからこそ、相手の立場を自分なりにでも

想像して謝るって行為がとても大切。

そういう姿勢や態度。)

 

でも、

 

少なくとも、

自分に向けた謝罪であることには

(抱えながら生きてきた自分に対する)

違わないし、

その相手も

もしわだかまりを抱えて生きていたり

した場合、その解消を図れるかもしれない。

 

そして何より、

そういうプロセスを経ると、

 

次回、

同じような状況が生じた場合、

素直に即座に謝罪できる自分が創造出来る。

何故なら、

罪悪感という自責感をカバーする為の

 

無用な偽りとは無縁となれる方法を


知れるから。

 

ってこと。

 

それが、

 

人の成長だと

私は思うのですよ。

 

素直にその場ですぐに謝ることが

なかなか難しい世の中に

なっている気がします。

 

自分が正しいのだから、

罪悪感や、ましてや自責の念など持ちません

などという人もいるかもしれません。

 

個の論理が幅を利かせている時代です。

 

私たちは、

 

関係性の論理

 

にもっと重きを置いた方が良い。


自らの為にもね。

 

最近、特にそう感じます。

 


ご参考まで。

     

津村健司