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カサブタ

ある日、

デニムの裾をふと見ると

赤いものがついていた。

 

何?

 

って、よく見ると

どうも血液らしい。

 

怪我でもしたのかなと

自身の足首を見てみると

カサブタが出来ていた。

 

いつの間にか

どこかで擦ったのだろう。

2センチくらいのカサブタが

そこにある。

 

幾日か、

気になりよくよく

観察していると、

そのカサブタは、

深夜に無意識に痒くて

掻きむしるのだろうか、

剥がれては出来、

剥がれては出来を

繰り返し、

知らぬ間に小さくなり、

 

やがていつの間にか

消えていた。

 

気になり

よくよく観察しても、

気にしないで

全く観察しなくとも、

 

いつの間にか

 

カサブタは消滅する。

 

 

諸行無常^^

 

 

カサブタは、

 

いじくりまわすと

 

大きくなったり、

 

治りが遅かったりを

 

幾度も繰り返したりもします。

 

バンドエイドを貼ってみたり、

 

赤チンを塗ってみたり、

 

酷い時はお医者さんに

 

かかってみたり、

 

あらゆる手立てで

 

私たちはそのカサブタの

 

状態から元の皮膚に戻すべく

 

尽力したりをします。

 

そして、

 

器質的に、病理的に

 

カサブタが出来ると

 

なかなか治りにくい人も

 

世の中には確かにいますが、

 

ただ一つ言えることは、

 

カサブタ

 

とは、

 

私たちの身体が

 

当たり前のように

 

自己治癒を

 

しようとしている証である

 

ってこと。

 

 

自己治癒の仕組みを、

 

科学的なものやらで

 

人体の不思議解明って体での

 

手法を私たちは取っていて、

 

だからこそ、

 

そんなことは

 

科学的(医学的)には

 

当たり前だと

 

みんな思っているが、

 

何故、

 

そのような機能が

 

私たちに備わったのか、

 

どうしてそんな機能が

 

私たちにもたらされたのか

 

っていうことを、

 

科学では解明出来得ない。

 

だから、

 

仕組みのみをふまえて

 

当たり前なもの

 

として捉えてしまう。

 

 

私は、

いつもそんな自分自身に

違和感を感じ、

そんな自身の拙い科学意識に

捉われてしまった時、

カサブタをこう捉えて

考えます。

 

 

何らかの心に悩みがあったとする。

 

その悩み解消の為に人はもがき苦しみ、

 

何とか解消しようと努力する。

 

そのもがき苦しんだ努力の

 

何らかの証が

 

カサブタであり、

 

そのカサブタは、

 

そのカサブタの程度によらず、

 

 

そのカサブタまで

 

意図的に持っていったその人は、

 

生きる力、生きたい原動力を

 

確実にその人自身の深部に内在している。

 

 

だから、

 

 

その人のその力を信じる。

 

信じられる。

 

信じよう とね。

 

 

それは、

 

 

自分自身が悩みや壁や、障がいに

 

ぶち当たった時も同じ。

 

 

どんな自分でも信じよう。

 

 

何故なら、

 

どんな時も、

 

自分は絶対的に

 

カサブタ

 

を創ろうとするから。

 

だから、

 

信じ、信じられ、

 

 

信じようという意思を持つ。

 

 

ご参考まで。

 

津村健司