· 

人は愛に始まり、愛に終わる

つい先ほど、

瀬戸内寂聴さんが

亡くなられたとの

速報を目にしました。

先日の9日に

お亡くなりになられたとのこと。

 

辛く悲しい時期に、

随分と彼女の言葉に

励まされました。

大好きな女性でした。

 

心からご冥福を

お祈りしようと思います。

 

「愛に始まり、愛に終わる」

 

は、

彼女の語録のようなもので、

なかなか買えずにいましたが、

必ず読みたい一冊です。

 

 

恋愛

相愛

忠愛

恩愛

寵愛

情愛

性愛

偏愛

無性愛

慈愛

友愛

 

様々な愛があります。

 

愛とは対象が必ずあるもので、

その対象には

自分も当然含まれているわけで、

自分も対象に含めた

何らかの愛が発動すると、

必ず同時に

 

苦しみが

 

歩み始める。

動き始める。

 

その苦しみは、

愛の副産物でもあり、

 

愛している

愛していた

 

という素晴らしい証。

 

だから、

 

「人は愛に始まり、愛に終わる」

 

は、

 

私たちの生きる意味を示唆していて、

 

それは、

 

 

愛に触れ、愛を感じ、

 

愛に苦しみ、愛の中に沈み、

 

そして、

 

愛と共に死んでいく。

 

きっと、

そういうことが生きる意味なんだ

ってことに思えます。

 

 

かなり以前、

当時、100歳になる女性の

お話しのお相手を

幾度もさせて頂いたことがあります。

 

彼女からも

素晴らしい愛を

いつもいつも

お話しさせて頂くたびに

感じました。

 

絶対的な人間愛、

 

慈愛、友愛というものです。

 

彼女のことを思い出すたび、

いつも胸が温かくなります。

 

様々な人々が、

様々な愛を携えながら生きていて、

その愛のいくつかに触れられる人々は、

その愛を感じる能力がある人々

ということであり、

愛を感じられる能力があるということは、

 

それが即ち、

 

幸せ

 

ということなんですね。

 

私は亡くなったおふくろや、

亡くなった叔父さん、叔母さん、

お爺さん、お婆さんという身内の愛も

沢山感じることが出来るから幸せです。

今生の廻りの人々からも愛を感じることも

多いです。

 

でも、

 

未だ、

私という存在そのものが、

   愛 そのものとは言えず、

様々な条件をあれこれつけてしまう

愚かで哀れな未熟者のままでいます。

 

この世を去るその日まで、

愛の修練は続きます。

 

 

津村健司