ココロテラス:心理カウンセリング・キャリアコンサルティング大阪梅田[決めつけ]

生き方


「今何か気に触ることを私しました?」

「いいや、別に大丈夫ですよ。」

「怒ってるでしょ?

いや、怒っているに違いない!」

「本当にすいません。私いつも無遠慮で、

配慮が無いって言われるんです。」

「いやいやそんなことないですよ。

ホント大丈夫ですから。」

「ホントに大丈夫ですか?

ホントにお気を悪くしていませんか?

ホントに不快なら

ご遠慮なく仰ってくださいね。

ホントにホントに大丈夫ですか?

あー、やっぱり怒ってらっしゃる。

本当に本当に申し訳ありません。

あー、私、ほんとに空気も読めないし、

相手の気持ちも分からないんです。

子どもの時から

・・・(自分語りが続いていく^_^)」


ウザ(^O^)


まあ、極端な例ですが、

これに近しいことを

私たちは無意識のうちに

してしまうことがあります。

一見、

尊重や配慮に見えますが、

実は全然違います。


自分の尊重や配慮を相手に示したいだけ^_^

ただ、それだけ。


相手のホントはそりゃあ分かりません。

分かりませんが、

しつこく自分はこうだから

こんな自分だから本当にすいませんは、

すいませんには決してなりません。

そして何より、

相手の感情を勝手に解釈すな!!

それほど不遜な態度だってことに

気づけていない。

それこそ、

配慮や尊重なんて微塵もない。

ってことをよくよくやってしまうことがある。


又逆に、

自分が感じる近しい関係の人や専門家に、

「〇〇さんは、ホントに私のことが

全部よく分かっているのね。

あ〜ホント怖いわ〜^_^」


あ・ほ・か  (^O^)


知らんがな〜(><)


誰も他者の心なんか全て分かりません。

家族でも親子でも分からないもので

あるからこそ、

心をもっともっと全ての人々は学ぶ必要があり、

他者の心を分かるなんてものは、

心の動きの

ほんの一端が分かっているに過ぎないもの。

にも関わらず、

分からないものに勝手に全部を

分かってくれていると言う。

全てを^_^

その態度や言動が不遜そのものであり、

キツく言えば、

心に対する重要性を自らが

そんなに認識しておらず、

位置付けも低くく、

これからの心の学びをしていこうという意思や

それ自体を放棄しているとも言えるもの。

で、

それを聞いた相手はきっとこう思います。

自己成長を常に意識している人ほど

必ずこう思います。


分かってほしいの頂戴、頂戴の人なんだな


って。


人は自分のことは自分で決めたいもの。

レッテルを貼られることほど嫌なもの。

その逆を言わばやっているようなものであり、

自分では決めれない。

レッテルを貼って頂戴、

だって自分では自分を分からないから

って人任せであり、


これは、

相手に背負わすことであり、

責任を転嫁させるものでもあり、

お互いに愛し合うもの同士なら

それも愛は深まる要素の一つでしょうが、

その関係でこそ成り立つもので、

それ以外は、

他者とのパーソナルスペースは

益々広がっていくのは必然。


人と仲良くなれないや、

好きな人や愛しい人がすぐに離れていくや、

でもどうしてそうなっているのか?

なんてことが全くもって

分からないなんて場合、

自分の不遜さに考えや想いを巡らせてみる

必要がある。


人は、

誰もが自分を分かって欲しいもの。

でも、

その押しつけが、

益々分かってもらいにくくなることを

私たちは

もっと知っておく必要があるようですね。

ご参考まで^_^